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新幹線の迅速な開通を支えたのは…丹那トンネル地獄の難工事/6月19日の話

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.06.19 07:25 最終更新日:2021.06.19 07:29

新幹線の迅速な開通を支えたのは…丹那トンネル地獄の難工事/6月19日の話

新丹那トンネル

 

 1933年(昭和8年)6月19日、東海道本線の熱海~函南をつなぐ丹那トンネルが貫通した。全長7804mと、当時日本で2番目に長いトンネルである。

 

 開通により、現在の御殿場線を経由していた東海道本線はおよそ12kmも短縮されたうえ、急勾配からも解放されたことで、大幅な時間短縮が可能となった。

 

 

 丹那トンネルの工事は、1918年(大正7年)に着工している。当初7年で完成する予定だったが、16年の長期に及んだ。67名の犠牲者を出していることから、相当な難工事だったことがわかる。

 

 現在、丹那トンネルの上には「丹那神社」と呼ばれる社があり、工事による犠牲者たちを祀っている。丹那神社奉賛会の田島秀雄会長に話を聞いた。

 

「もともと、国鉄の方でお社をつくり、犠牲者の方々をお祀りする例祭をおこなっていたらしいです。

 

 しかし、国鉄民営化によって熱海駅はJR東海とJR東日本の両社が管理することになり、担当をどちらにすることもなく例祭は一度消えてしまいました。

 

 私は丹那トンネルの近くに住む人間で、荒れていく一方のお社をどうにかしたくて、動き始めたのが20年ほど前のことです。

 

 ご縁があり、第9代国鉄総裁をされていた仁杉巌さんともつながり、例祭を私たちの手で復活させるに至りました。

 

 貫通や開通など、記念となる日はいくつかあるのでしょうが、丹那神社としては最初の崩落事故が起きた4月1日が一番大事な日ということで、毎年この日に例祭をおこなっています。

 

 最初に事故が起きたのは1921年でしたから、実は今年で100年が経つのです。コロナの影響でお祭りを開くことは難しかったのですが、コロナが収まれば必ずやるつもりです」

 

 丹那トンネルの工事が難航したのは、大量に湧き出てくる水のせいだ。熱水で粘土化した「温泉余土」と呼ばれる地層に悩まされ、何度も崩落事故が起きている。

 

 1930年に発生した北伊豆地震では、工事中の断層が震源地となり、作業にあたっていた作業員数人がトンネル内に閉じこめられる事態となった。

 

「工事は何度も中断され、結果的に16年もの年月がかかりました。一方、丹那トンネルの隣には東海道新幹線の通り道である新丹那トンネルがありますが、あちらはわずか4年と迅速に完成しています。

 

 時代ごとの技術の違いもあるでしょうが、丹那トンネルを掘ったときに地層の特徴など、さまざまなことがわかりました。

 

 工事では、最初煉瓦を積んでいきましたが、大変すぎるのでコンクリートブロックをはめ込んでいくなど試行錯誤が続きました。シールド工法といった新しい技術も試されています。いろいろなノウハウが生まれてきたのが、丹那トンネルの工事だったのでしょう」(田島会長)

 

 現在、JR東海がリニア中央新幹線を建設中だ。順調にいけば2027年に品川~名古屋が開業するが、一方で多くの活断層を横切ることや、トンネル工事により大井川の流量が減少するとして、静岡県が工事を認めないなど、問題が噴出している。

 

 現在の技術は、丹那トンネルの時代より飛躍的に進んだが、時代によって「難工事」という言葉が抱える意味合いは変わってくるのだろう。

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