1895年(明治28年)6月20日、「東京朝日新聞」にて、報道メディアで初めて伝書鳩が実用化された。この日、朝日新聞は、大物政治家・井上馨が帰国するとの速報を打ち出すことに成功する。
かつてインターネットはもちろん、電話さえ普及していない時代、連絡手段の1つとして選ばれたのが伝書鳩だった。
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各メディアの屋上には鳩小屋が設置され、日々伝書鳩たちは取材現場と屋上を行きかっていた。記者たちは出張先に複数の鳩を引き連れ、鳩の背中や脚に取り付けた筒に原稿や写真を入れ、運ばせたのだ。
しかし、次第にFAXなど通信の発達とともに使用頻度は減っていく。朝日新聞社では1961年(昭和36年)まで約210羽を飼育していたが、町の愛鳩家に引き取ってもらい、5月に通信鳩部が廃止された。
いまでも、朝日新聞本社があった有楽町マリオンには、鳩のブロンズ像が飾られている。
鳩の帰巣性の強さは、報道メディアだけでなく旧日本軍も利用したほどだった。
防衛問題研究家の桜林美佐さんは、こう語る。
「軍隊で使用される鳩は、軍鳩(ぐんきゅう)と呼ばれます。1870年に起きたプロイセンとフランスの普仏戦争で大きく活躍したことから、欧州各国で導入されました。
日本では、明治中頃から陸軍を中心に研究がおこなわれ、1937年から始まった日中戦争のときはかなり活用されたようです。
軍鳩と同じく、軍用動物として軍馬や軍犬も戦場で活躍しました。当時の軍人たちは仲間としてかわいがっていましたが、やはりほとんどの動物たちが犠牲となり、戦争から戻ってこられませんでした。
そのため、靖国神社には軍馬・軍犬とともに、鳩魂塔という軍鳩の慰霊碑が並んでいます。
いまも毎年9月には軍鳩の慰霊祭がおこなわれています。世界広しといえど、戦没動物の慰霊祭を開催しているのは日本ぐらいではないでしょうか」
現代に生きる鳩たちはもう伝書鳩として使用されることはなく、鳩レースなどの特殊な場面で活躍するか、道端をぽつぽつと歩いているぐらいである。