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奈良時代から伝わる秘薬が始まり…バスクリンに秘められた姫君の物語/6月22日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.06.22 10:42 最終更新日:2021.06.22 14:00
1930年(昭和5年)6月22日、津村順天堂(現・ツムラ)から、芳香浴剤「バスクリン」が発売された。
バスクリンは、発売当初からこの名称だったが、オリジナルは1897年(明治30年) に発売された「浴剤中将湯」だ。これが日本初の入浴剤とされている。
津村順天堂は、1893年、津村重舎が創業した。奈良時代から家に伝わるという秘薬を、婦人薬「中将湯」として売り出したのが始まりだ。当時、婦人の病気を専門に診る医者はほとんどおらず、多くの女性は医者にかかるのを嫌がっていた。そこに、婦人病に効くという薬が発売されたため、大ヒットとなった。
「中将湯」のネーミングは、奈良の当麻寺(當麻寺)に身を寄せた中将姫の伝説から取られている。『当麻曼荼羅』を織ったとされる人物で、後には、能の演目としても知られるようになった。
当麻寺中之坊の院主、松村實昭氏は中将姫について、こう語る。
「天平時代を生きた中将姫の伝説はいくつかバリエーションがあるのですが、継母から疎まれ、命を狙われたため、ひばり山(日張山あるいは雲雀山)の青蓮寺に隠れたとされています。姫は翌年、父親に発見され都に連れ戻されますが、世上の栄華を望まなかったため、当麻寺で仏の道に入る決心をします。
中将姫がひばり山で最初に身を寄せたのが、津村重舎の母方の実家である藤村家だといわれます。当麻寺中之坊で薬草の知識を得た姫が、再度ひばり山を訪れたときに婦人病の薬を調合し、その処方が藤村家に伝わったともされます」
婦人薬「中将湯」を刻んで入浴剤にしたのが「浴剤中将湯」だ。当時の従業員が生薬の残りを持ち帰って風呂に入れたところ、体がよく温まると報告したことから商品化につながった。
しかし、ここで大きな問題が持ち上がる。「浴剤中将湯」を使うと、冬は体がよく温まるが、夏は暑すぎて汗が止まらないと言われてしまったのだ。そこから、夏用入浴剤の開発が始まった。バスクリン・メディア企画室の後藤葉さんがこう話す。
「浴剤中将湯は、当帰(セリ科の多年草)など、血流をよくする成分が含まれていたので、夏場としてはかなり暑かったと思います。そこで、重曹や芒硝(ぼうしょう)を加えて、皮膚の余分な皮脂をとり除き、またスッとする香りをつけたことで、夏でも利用しやすい商品を生み出しました」
これがバスクリンの誕生だ。
「戦前、バスクリンは銭湯で使われることが多かったのですが、なかにはコストを下げるため、風呂の湯をあまり変えずに営業するところがありました。これに対し保健所から衛生面について銭湯が指摘を受けたことから、販売ターゲットを家庭向けにシフトしたのです」(同)
戦後の経済成長で、生活水準の上がった人々は、自宅にも風呂を持ち始めた。そんな時流とマッチし、バスクリンは広く一般家庭に浸透していったのだ。