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日本初の女子アナ、いじめで会社をやめて男と情死/6月25日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.06.25 06:00 最終更新日:2021.06.25 06:00
1925年(大正14年)6月25日、東京放送局(現・NHK)に翠川秋子が入局した。同年3月に日本で初めてラジオ放送が開始されてから、3カ月後のことだった。翠川は、ほどなく日本初の女性アナウンサーとなる。
東京・日本橋に生まれた翠川は、女子美術学校を卒業後に結婚。絵の教師や雑誌の編集などをしていたが、3人の子供を残して夫が他界したため、東京放送局へ入局する。
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元フリーアナウンサーで、東海大学文学部広報メディア学科の谷岡理香教授がこう語る。
「翠川さんは放送スタッフとして入局したのですが、採用試験の際に一曲歌い、声の豊かさを認められたことで、アナウンサーも兼任するようになりました。
それまで男性が担当していたような料理や裁縫の番組は、翠川さんが担当するようになります。才気煥発で、リスナーからの人気は高かったみたいですよ。
翠川さんは髪を短く整えて、洋服に幅広帽をかぶった姿でマイクに向かうスタイルでした。まだモダンガールという言葉が流行する前で、着物の女性が圧倒的に多いなか、翠川さんの立ち振る舞いはよくも悪くも目を引いたようです」
翠川は入局から1年も経たずにやめてしまうが、これはいじめが原因だったという。
あるとき翠川は上司から「アナウンスの終わりに『ございます』はよくない」と指摘されたが、これは放送部長からの指示だったため、上司と言い合いになった。あげく、上司は翠川をげんこつで殴りつけた。さらに、周囲の男性とあらぬ噂を立てられるなどセクハラ被害もあり、翠川は辞表を出すに至った。
退職後は再び雑誌の編集に戻ったが、生活は苦しかった。そのうち新宿2丁目におでん屋を開いたが、あまりうまくいかずに閉店。困窮した翠川は、1935年、千葉県館山市の海岸で、店の常連だった若い男性と情死事件を起こしてしまう。2人が泊まっていた宿には、放送局のテキストが残されていたという。
「翠川さんは有名人だけに、新聞で大きく取り上げられたようです。NHKの放送史を見ると、翠川さんのことはさらりとしか書かれていません。歴史というものは、誰が書くかによって変わるんだと思わされます」
写真・朝日新聞