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大阪の新名所「通天閣」開場…新世界はロープウェイもエジプト館もある一大歓楽地だった/7月3日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.07.03 08:12 最終更新日:2021.07.03 08:22
1912年7月3日、大阪の新しい名所として「新世界」が誕生した。1903年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会の跡地につくられ、初代通天閣もこの日に開場している。
かつて新世界には、通天閣と並び立つようにもう1つの大きな塔がそびえていた。これは「大阪ルナパーク」という遊園地にあったもので、「ホワイトタワー」と名付けられている。塔と通天閣の間には、日本初の旅客用ロープウェイが吊り下げられ、物珍しさから大きな話題を呼んだ。
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新世界の成り立ちに詳しい、大阪府立大学教授の酒井隆史さんはこう語る。
「ルナパークという名前は、NYのコニーアイランドにいまもあるルナパークという遊園地から来ています。かつて日本では浅草や宝塚にもルナパークがあり、『遊園地=ルナパーク』と捉えられていた時代があったようです。
大阪で開業したルナパークには、王道のメリーゴーランドや絶叫マシーンのほか、エジプト館や音楽堂、温泉やプールなどさまざまなアトラクションが設置されました。はじめは目新しさもあり人気があったのですが、調子がよかったのは最初の1年程度で、その後は長らく営業不振に悩まされます」
ルナパークは7月に開場したが、1カ月もたたないうちに明治天皇の崩御に見舞われた。遊園地で遊ぶどころではなく、どこもかしこも自粛ムードに。徐々に人出が戻っていったが、リピーターは少なかったようだ。
「いまの時代から見るとロープウェイなどは目を引きますし、アトラクションもいろいろ揃えていたように思えます。しかし、当時の大衆新聞などを見ると、ルナパークは人気のないものとして、かなりバカにされているのです。強烈なところでは、『ルナパーク』をいじって『グ(愚)ナパーク』と書いているメディアもありました。
あの頃、新世界の関係者たちにとって一番の主眼は、風俗産業を取り入れることでした。新世界のあたりはだんだんと怪しげな店が増えていき、1916年には日本最大級の遊郭といわれた飛田新地が完成しています。ですから、実際のところ、ルナパークの経営にはそこまで本気を出していなかったのだと思います。一応、経営者を何度か変えて努力したようですが、結局、1923年には閉園してしまいました」
閉園後のルナパークは、街と遊園地の間のしきりを取り払い、街の一部になっていった。現在の新世界は、串カツ屋など数々の飲食店が立ち並び、遊園地の面影はない。ホワイトタワーとともにあった通天閣も、今は1人ぼっちである。