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産経新聞記者が加藤勝信官房長官の議員秘書に! 問われる「政権とメディアの距離」
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.07.16 19:33 最終更新日:2021.07.16 23:22
「加藤勝信官房長官の番記者だったK氏が、7月末に産経新聞社を退社し、8月から加藤事務所の秘書になるそうです」(産経新聞関係者)
K氏は1998年入社。地方支局、東京本社社会部、政治部を経て、直近では経済本部で電機業界を担当していた。
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「産経新聞社の経済本部は、子会社の日本工業新聞社と編集部門を一本化し、経済紙『フジサンケイビジネスアイ』の記事も制作していました。ところが同紙は苦戦続きで、2021年6月末で休刊に。K氏も地方部へ異動になった矢先でした」(全国紙記者)
K氏は特ダネをとるタイプではなく、仕事をきっちりこなすタイプだったと、前出の産経新聞関係者が語る。
「記者としてはおとなしいほうでした。ふつう、政治部ではオンレコ、オフレコのメモを記者同士で共有するのですが、Kさんは加藤氏から得たネタを独り占めすることがよくあり、ほかの記者とのあいだに不協和音が生じていましたね(苦笑)」
K氏と加藤官房長官の接点は、第2次安倍内閣のとき、当時官房副長官だった加藤氏の番記者になったことだ。
2013年には、「安倍政権の“3本の矢”…官邸支える『SSK』とは」と、菅義偉官房長官、世耕弘成官房副長官とともに、まだ知名度が低かった加藤官房副長官を「知る人ぞ知る(安倍)首相の側近」と紹介(肩書はすべて当時のもの)。
「口が堅く融通が利かない役人肌の面ものぞく」が、「堅物風の気配り上手」だと持ち上げた。
2016年に「保育園落ちた日本死ね!」というブログが社会問題化したときは、認可保育所を視察する加藤氏(当時は一億総活躍担当相)に密着。園児と一緒にお遊戯する加藤氏を、K氏自ら撮影している。
前出の関係者は、「Kさんは役人タイプの記者でしたから、大蔵官僚出身の加藤さんとは気があったのでしょう」と話す。
いま、メディアから政権への人材流出が続いている。産経新聞ソウル支局長時代に韓国の検察庁から名誉毀損で在宅起訴されたことで知られる加藤達也氏は、2020年に同社を退社し官邸入りした。共同通信の論説副委員長を務めていた柿崎明二氏も、同年に首相補佐官に就任しているのだ。
産経新聞社広報部にK氏の退社と、加藤事務所入りについて問い合わせると、「広報部までそのような話は上がってきておらず、わかりかねます」とのことだった。加藤勝信事務所にも質問状を送ったが、「回答は差し控えさせていただきます」ということだった。
思いを同じくする “理想の上司”を見つけたK氏。「政権とメディアの距離」など“どこ吹く風”と、加藤官房長官と一心同体で秘書業務にまい進するのだろう。