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日本人初の金メダル、表彰式には日の丸が準備されてなかった/8月2日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.02 10:00 最終更新日:2021.08.02 10:00
1928年8月2日、当時開催中のアムステルダムオリンピックで、織田幹雄選手が陸上男子三段跳びで金メダルを獲得した。日本初の金メダリストであり、さらにはアジア選手でも初という快挙だった。
アムステルダムで爪痕を残したのは、織田だけではない。日本女子で初の五輪代表となった人見絹枝も参加し、800m走で銀メダルを獲得する。
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日本選手団は、最終的に金メダルが2つ、銀メダルが2つ、銅メダル1つという成績を残している。
歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「アムステルダム五輪は、日本にとっては特に歴史的なイベントでした。織田が日本人で初めて金メダルを取った6日後、水泳の鶴田義行が200m平泳ぎで金メダルを獲得しています。鶴田は1932年開催のロサンゼルス五輪でも優勝し、日本人初のオリンピック連覇を果たしました。
陸上競技への女性の参加が初めて認められたのも、この回からです。
そのため、人見は日本人女性初の選手として出場し、女性初のメダリストになれました。ただ残念ながら、人見は3年後、24歳の若さで肺炎で亡くなってしまいます。
陸上競技における2人目の日本女子メダリストは、1992年のバルセロナ五輪で女子マラソン銀メダルを獲得した有森裕子でした。人見以降、実に64年もの年月がかかったのです」
日本が初めてオリンピックに参加したのは、1912年開催のストックホルム大会からだ。
1920年のアントワープ大会では、日本選手が男子テニスで初のメダルを、1924年のパリ大会ではレスリングで銅メダルを獲得するなど、ぽつりぽつりと結果を残し始めたものの、目覚ましい活躍とまではいかなかった。
それだけに、アムステルダムでの活躍ぶりには主催側も驚き、慌てふためいたという。
「主催国であるオランダは、日本選手が優勝するとは夢にも思っていなかったようで、掲揚する国旗の準備がなかったのです。このときは、人見選手が応援用に大きな日の丸の旗を持参していたため、こちらで代用することで収まりました。他国よりも4倍ほど大きい日章旗は、ずいぶん目立ったようです。
音楽隊の準備が整いきらず、『君が代』の冒頭が流れないというハプニングもありました。途中の『さざれ石の』から演奏が始まり、どうにか無事に表彰式は終わりました。
それでも、織田は自身の日記で当時を振り返り、『日章旗が上がり、国歌が流れたときは涙があふれた。夢のようだった』と記しています」
開催中の東京五輪では、現時点で日本は金メダルが17個、銀メダルが5個、銅メダルが9個という結果が出ている。単純に比較できるものではないが、1928年当時から見れば、格段に数字は大きくなった。代々のスポーツ選手たちが、後進に残してきたものが花開いている。
写真・朝日新聞