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逃げ出した3頭のトラに住民戦慄…はたして個人でトラは飼えるのか/8月3日の話

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.03 09:00 最終更新日:2021.08.03 09:00

逃げ出した3頭のトラに住民戦慄…はたして個人でトラは飼えるのか/8月3日の話

射殺されたベンガルトラ

 

 1979年8月3日、千葉県君津市にある神野寺が飼っていた12頭のトラのうち、3頭が逃げ出したことがわかった。1頭は檻へ引き返したためすぐに発見されたが、2頭は姿を消してしまった。この2頭が射殺されるまで、およそ1カ月かかっている。その間、近隣住民はおちおち眠ることさえできない、恐怖の時間を過ごすことになる。

 

 逃げ出したトラのうち1頭は、2日後に山中で射殺された。しかし、トラを殺したことで、全国から猛烈な非難の声がわき起こり、捜索隊は一時手を緩める。だが、しばらくすると民家の犬がかみ殺された姿で発見され、住民に被害が出る前に射殺することが決まる。そして、8月28日、山中でもう1頭が発見され、ようやく射殺された。

 

 

 日本で猛獣が逃げ出した事件はいくつかある。一番有名なのが1936年(昭和11年)、上野動物園から脱走したクロヒョウだ。クロヒョウは12時間後につかまるが、この事件が原因で、太平洋戦争で空襲が始まったとき、上野動物園の猛獣が処分されたと言われる。

 

 一方、神野寺の場合はどうだったのか。寺には、動物好きの住職によって、ウシ、サル、イノシシ、キツネ、シカなどに加え、トラやクマが飼育されていた。まさに私設の動物園だった。

 

 生身のトラを一般の人が目にするようになったのは、比較的最近のことだ。帝京大学文学部教授での濱田陽さんがこう語る。

 

「日本では、江戸時代にトラを見世物にしていた記録はいくつか残っていますが、本物だったかはわかっていません。明治に入ると、1887年(明治20年)に上野動物園へトラがやってきます。これが、多くの日本人が初めて見た生身のトラで、またたく間に花形となりました。

 

 1917年(大正6年)には、実業家の山本唯三郎が朝鮮半島で大規模なトラ狩りをしたことが話題になっています。

 

 日本でトラといえば、古くは権力者が身を守るため、大陸から輸入したトラ皮を身につける文化がありました。頼りになる、自分たちを災厄から守ってくれるというイメージがあったのです」

 

 神野寺に作られた動物園の主役は、3つのオリで飼われていた12頭のトラだったのは間違いない。当時、住職は「トラを殺すとは最悪の処置だ。トラより人間の方がよっぽど凶暴だ」と話しており、最強の “愛玩動物” として大切にしていたことがうかがえる。

 

 脱走事件をうけ、神野寺では残った動物を北海道の動物園に引き渡し、以後、飼育はやめている。事件は、住職と飼育係が軽犯罪法違反(危険動物解放)で書類送検され、幕を閉じた。

 

 環境庁(当時)は、この事件を受け、各都道府県に対し、危険動物の飼育に関する条例の制定を急がせた。千葉県でも、事件から3カ月後に「危険な動物の飼養及び保管に関する条例」を施行している。

 

 それにしても、トラなどの猛獣を個人で飼育することは可能なのか。東京都動物愛護相談センターの担当者によると、「かつてはしかるべき手続きを取り、許可を得ていれば飼育することは法律的には可能でした。しかし、2020年6月に施行された法律により、トラのように人に危害を与える可能性がある動物を、愛玩目的で飼育することは禁じられました」とのことだった。

 

 逆に言えば、ほんの1年前まで、法律的にトラを個人で飼うことが可能だったのだ。

 

 なお、この法律では、例外措置として、2020年5月末までに手続きを済ませれば、引き続き愛玩動物として飼育できることになっていた。そのため、マニアによる駆け込み登録が相次いだ。2021年5月に脱走が報じられたアミメニシキヘビも、個人が飼育していたケースだ。もしかしたら、いまも隣の家に、ひっそりと危険動物が飼育されているかもしれない。


写真・朝日新聞

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