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古い価値観にさよなら!ミニスカ女性が町を闊歩する/8月11日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.11 12:00 最終更新日:2021.08.11 12:00
1960年代、ミニスカートを履いた女性たちが、日本にあふれかえった。大正時代から普及が進んだスカートの丈が、一気に短くなったのがこの時期だ。
「ミニスカート」という言葉は、1950年代末に生まれた。イギリスのデザイナーであるマリー・クワントが、ロンドンのストリートファッションとして生まれたミニ丈をデザインに取り入れ、命名したものだ。
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日本では、1965年8月11日、帝人が日本初のミニスカート「テイジンエル」を発売。当時、すでにスカートを履く文化は女性たちの間に定着していたものの、丈の短いミニスカートは、すぐに受け入れられたわけではなかった。
服飾史家の中野香織さんが、こう語る。
「やはり、ブランドが新しいものを出すだけではなく、強烈なインフルエンサーがいてこそ、商品は人々の間に広まっていきます。帝人による商品販売の下地もあったのでしょうが、日本でミニスカートが爆発的に流行したきっかけは、1967年のツイッギー来日からでしょう。
ツイッギーは、前時代的な価値観をすべてひっくり返したモデルなんです。
1950年代の女性美の基準は、マリリン・モンローのように肉感的な女性性を強調したものでした。しかし、1960年代の初めにロンドンが若い人の文化の中心になり、その熱気の中からツイッギーが登場します。
本当に細く小枝のような体でミニスカートを着こなし、ショートカットに目の周りを黒く縁取るボーイッシュなメイクで、フレッシュな若々しさを世界に発信したんです」
その評判は、日本にも届いていた。
1967年10月18日にツイッギーが来日すると、報道陣が殺到。渋谷・東急本店の新築オープンに合わせて開催されたファッションショーは、定員1000人の枠に15万人から応募があったという。
ツイッギーは、約3週間の滞在で日本全国のショーに登場し、ミニ姿を存分にアピールしていった。
「ミニスカートが広まったのは、ツイッギーの来日に加え、時代の空気がすでに “戦後” から脱却しており、古めかしい女のイメージが大衆の気持ちと合わなくなっていたのも大きいでしょう。
高度経済成長期に突入し、もっと若く、もっと勢いよく、もっと上へという気分が漂っていたところに、ツイッギーが来たんです。
ミニスカートは、繊維産業の活性化も促し、好景気の後押しをした側面もあります。スカートを変えるなら、ブラウスや小物など洋服一式を買い替えなければおしゃれな着こなしはできませんよね。
ですから、女性たちはデパートに駆け込み、ミニスカートに合うものを取り揃えました。タイツやストッキングが定着したのも、この頃からです」(同)
当時、佐藤栄作首相の寛子夫人が、膝上5cmのミニスカートで渡米したことも、ずいぶん話題を呼んだ。
「1970年代以降は、ブームは去りましたがミニスカートは選択肢の一つとして存在し、マキシ丈なども登場し、スカートの種類がどんどん増えていきました。
現代では、前後で丈の違うデザインやマイクロミニなど、あらゆる種類がありますから、丈の長さが流行を決めることはなくなりましたね」(同)
過熱しすぎたミニブームを危惧したのか、帝人は1968年、いっとき「殿方に悲しいお知らせ、街からミニが消え始めます」という広告を出したこともある。
しかし、女性たちがミニスカートを手放すことはなかった。なぜなら、ミニスカートは “女性の解放” の象徴だったからだ。