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列車が転覆して3人死亡…「国鉄3大ミステリー事件」犯人は誰だ!/8月17日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.17 11:00 最終更新日:2021.08.17 11:00
1949年8月17日、東北本線松川駅(福島県)そばで、上野行きの列車が脱線・転覆する事故が起きた。当時は国鉄時代で、のちに「国鉄3大ミステリー事件」の1つとされた「松川事件」である。
先頭の機関車は仰向けに転覆し、乗務員3人が死亡した。調べると、列車が転覆した付近のボルトが緩められ、継ぎ目板も外されていることが確認された。単なる事故ではなく、人為的に起こされた事件だったのだ。
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歴史研究家の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「松川事件が起こる約1カ月前には、国鉄がらみで2つの不可解な事件が起きていました。常磐線の綾瀬駅付近の線路上で、国鉄の下山定則総裁の轢死体が発見された『下山事件』、もう一つは中央線の三鷹駅車庫から無人列車が暴走し、商店街に突っ込んで6人が死亡した『三鷹事件』です。
どの事件も犯人はわかっておらず、謎が多く残っています。当時は、まだ日本がGHQ(アメリカを中心とした占領軍)の支配下にある時代です。この年5月には国鉄職員らを大量解雇する法律が成立し、共産党率いる労働組合によるストライキがおこなわれるなど、緊張状態が続いていました。そのため、3つの事件が起きたとき、真っ先に疑われたのが共産党勢力だったのです」
下山事件では自殺・他殺両方の説がささやかれたが、結局、事件は迷宮入り。三鷹事件では、労組の組合員かつ日本共産党員だった10人と、非共産党員の元運転士・竹内景助らが逮捕された。最終的には竹内による単独犯とされ、死刑判決が下されたが、竹内は無実を叫び続け、獄死する。
「松川事件では、組合員ら20人が逮捕され、一審では全員有罪となったうえ、5人に死刑判決が下されます。しかし、裁判が進むと、アリバイを証明する証拠が、捜査機関によって隠蔽されたことが明らかになったのです。10年以上にわたる裁判の末、最終的に全員の無罪が確定しました。川端康成や志賀直哉など知識人による支援運動が起きるなど、世間の注目度が高い事件として有名です」
のちに「戦後最大の冤罪事件」と呼ばれるほどの騒動を巻き起こした松川事件。
作家の松本清張は『日本の黒い霧』でGHQの謀略説を展開した。また、2019年には、宮内庁の初代長官を務めた田島道治のメモがNHKによってスクープされ、そこには昭和天皇の「松川事件はアメリカがやって共産党のせいにしたとかいうことだが」との発言が残されていた。
いまとなっては実行者も不明で、真相は闇の中だが、戦後すぐの日本には謎の事件が頻発していたのだ。
写真・朝日新聞