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幻の「東京駅」高層化計画…テナントに領事館を入れてヘリで送迎/8月18日の話

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.18 08:30 最終更新日:2021.08.18 08:30

幻の「東京駅」高層化計画…テナントに領事館を入れてヘリで送迎/8月18日の話

高層化された東京駅の予想図

 

 1952年8月18日、国鉄が12階建ての東京駅八重洲口駅舎の建設計画を発表した。2年後には「鉄道会館」と呼ばれる駅ビルが建つことになる。

 

 当時は高度経済成長期に向かって、八重洲口周辺にオフィスビルが立ち並ぶようになった時期だ。東京駅を利用するサラリーマンが増えたことに加え、1949年に焼失して以来、八重洲口は仮駅舎だった。そのため、国鉄は東京の玄関口である東京駅の再建を目指した。

 

 

 東洋大学理工学部建築学科の教授である大澤昭彦さんが、こう語る。

 

「東京駅は、当時国鉄の技術者だった立花次郎のアイデアで、いわゆる駅ビルをつくることになりました。この頃、国鉄にはお金がなく、駅ビルのテナント料で、国鉄の収益を上げる狙いもあったのです。いわば民間活用のはしりですね。八重洲口駅舎の竣工は、その翌年に国鉄総裁となった十河信二による、丸の内駅舎建て替え計画につながります。赤レンガの駅舎を24階建ての高層ビルにするという、日本初の試みでした」

 

 十河は、ビルのテナントに外国領事館や大手商社を入れ、国際交流センターとして活用するつもりだった。屋上にヘリポートを設けて海外要人の送迎をするほか、丸の内と八重洲を貫通する形で高速道路を整備し、東京を交通の中心地とする目論見だった。

 

「十河が国鉄総裁を辞任したこともあり、24階建ての高層ビル計画は幻に終わりました。しかし、プロジェクトのなかで耐震技術の研究が進み、1950~60年代の高層建築技術に大きな影響を与えます。その結果、1968年、日本初の超高層である霞が関ビルが誕生するのです」

 

写真・『都民と都政の歩み』(都政20年史編さん委員会編、1965)より

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