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日本初の女子大生が誕生…下は26歳、上は41歳で理系に進学/8月21日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.21 10:40 最終更新日:2021.08.21 10:40
1913年(大正2年)8月21日、日本で初めての女子大生が誕生した。東北帝国大学(現・東北大学)は、黒田チカ、牧田らく、丹下ウメという3人の女性が入学試験に合格したことを官報で発表する(当初は16日発表だったが実際は21日)。
明治の時代は、女性の高等教育への参加が徐々に始まった頃だ。東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)が置かれたほか、津田梅子の女子英学塾(津田塾大学)や東京女子大学など、私立の女子教育機関が増えていく。
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歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「旧帝国大学はもともと女人禁制とされていましたが、1913年の東北帝国大学理学部の開設にあたって、女性の入学が初めて認められました。どうも大学関係者たちの独断だったようで、文部省からは『前例がなく、すこぶる重大な事件だ』として説明を求める書簡が送られますが、大学側はかまわず合格者の正式発表をおこないました。
5人の受験者から、もともと東京女子高等師範学校で教鞭をとっていた黒田チカや牧田らく、日本女子大学教授の丹下梅子の3人が合格しました。初めて帝大に入学したため、この3人を『日本初の女子大生』と呼んでいます。女子大生といっても、彼女たちはすでに他の教育機関で学びを重ねてきていますから、年齢も黒田が30歳、牧田が41歳、丹下が26歳と平均年齢は高めだったのです」
黒田と丹下は化学科、牧田は数学科と、学びたいものは理系の分野だった。3人は東北帝国大学での生活を経て、それぞれの道で成果を上げる。
「黒田は1918年に日本初の女性理学士となり、理化学研究所などで植物の色素に関する研究を進めていきます。丹下もまた理化学研究所でビタミンの研究に従事しました。牧田は教員に戻ったのち、洋画家との結婚を機に退職しますが、数学の研究は続けていました。牧田のまとめた文献目録はウィーンの数学者に引用されたことがあり、牧田は手紙のなかで『生涯忘れられない大きな喜びの日』と語っています」
女性が、本格的に希望する大学へ入学できるようになったのは戦後のことだ。その頃には、文部省も「前例がない」などとは言えなくなっていた。日本初の女子大生となった3人が切り拓いた道は大きい。