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逸見政孝さん「がん告白」で広まった「健康診断」の重要性/9月6日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.09.06 11:00 最終更新日:2021.09.06 11:00
1993年9月6日、国民的人気を博していたフリーアナウンサー・逸見政孝さんが異例の記者会見を開いた。無数のカメラを前に「私がいま侵されている病気の名前、病名はがんです」と、生中継を見つめる視聴者たちに告白したのだ。
今でこそ、がん告白や闘病記を表に出す著名人は多い。しかし、当時は「がん=死」のイメージがいまより強く、タブー視されていた時代だ。そんななか開かれた逸見さんの記者会見は、世間に大きな衝撃を与えた。
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「もともとフジテレビのアナウンサーをされていた逸見さんは、当時フリーとなって5年めで、人気絶頂でした。『たけし・逸見の平成教育委員会』でビートたけしさんと共演したほか、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『夜も一生けんめい。』など多くの人気番組の司会を務めました。
人気が出たきっかけは、『おニャン子クラブ』を輩出した『夕やけニャンニャン』でした。逸見さんは予告コーナーを担当していましたが、メガネの真面目なおじさんが、司会の片岡鶴太郎さんからいじられつつ、ユーモアある返しをするという構図がウケたんです」(芸能記者)
まだまだこれから……という時期だった1993年、健康診断でがんが見つかった。本人には「初期のがん」だと伝えられ、摘出手術を受ける。しかし、手術後、家族にだけ伝えられたのは、がんの予想以上の進行だった。5年以内の生存率ははかなり低いという話で、事実、がんはまもなく再発。このとき、逸見さんは「直接自分の口から説明したい」と、がんの公表を選んだ。
「私は1年後に亡くなるのは本意ではありません。3カ月、ここで休養して闘ってみようと思いました。もう一回、いい形で『生還しました』と言えればいいなと思っています」(会見でのコメント)
会見後は、あちこちから激励のメッセージが届いたという。しかし、9月におこなった手術の3カ月後には再々発が起こり、1993年12月25日に亡くなった。48歳だった。
逸見さんは、会見で「自覚症状が出てからでは遅いんです」と、定期健診の重要性を訴えた。実際に、会見後はがん検診の受診者が急増し、「逸見効果」と呼ばれたほどだった。人々が、がんと向き合う大きなきっかけとなったのは間違いない。