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東大前刺傷事件 容疑者少年が通う「東海高校」OBは「自由放任の素晴らしい学校なのに…彼が対応できなかっただけ」

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.01.27 16:50 最終更新日:2022.01.28 22:59

東大前刺傷事件 容疑者少年が通う「東海高校」OBは「自由放任の素晴らしい学校なのに…彼が対応できなかっただけ」

東京メトロ東大前駅の改札周辺。事件直前、少年は地下鉄車内で放火を図ったと供述(写真・共同通信)

 

 1月15日に東京大学弥生キャンパス(東京都文京区)前で、17歳の少年が大学入学共通テストの受験生ら、3人を刃渡り12センチの包丁で刺すという衝撃的な事件が起きた。

 

 少年は中京随一の歴史を持つ進学校、私立東海高校の2年生だった。しかし、同校はスパルタや管理教育とは真逆の自由な校風で知られ、先ごろ亡くなった海部俊樹元首相、タレントの林修氏ら著名人や、カルチャーシーンで活躍するOBを多く輩出してきた。今回は作家で、明治学院大学教授でもある助川哲也氏(59)、ノンフィクション・ライターの藤井誠二氏(56)が、創立以来、綿々と継承される東海学園のポリシーを語ってくれた。両氏の話からは、加害者少年がいかにそこから逸脱した存在だったかがわかる。

 

 

 東海高校の2021年度の国公立大学医学部合格者数は93人。14年連続の全国1位を維持している。名実ともに進学校だが、「放任主義」とも称される自由な学び舎で、生徒らは根本的には自らの力で合格を勝ち取る。個性的な人物が多く輩出する東海のような学校では、生徒はのびのびと育ち、広い視野を得る。

 

 一方、週刊誌やワイドショーの報道で続々と明らかになるA(犯行に及んだ生徒をここでは「A」とする)の人物像には、独りよがりの面が目立つ。もっとも象徴的なエピソードが、毎年2月に生徒会が開催する「ホームルーム講座」でのひとコマだ。そこで登壇者は、めいめい好きなテーマについて語るのだが、Aは女優・芦田愛菜への思い入れをとうとうと語り、聴衆の喝采を浴びた。しかし、直後の質疑応答の場面で、ふざけて芦田の“第二次性徴”について問うた生徒がいて、Aは急に激昂したという。

 

 さらに遡った中3の秋には、授業中で一人ずつ発表する古文の暗唱に失敗し、悔しさのあまり衝動的にリストカットを図った。思ったとおりにいかないと自暴自棄になる傾向が、この時点であったのだろう。

 

 しかし、それはあくまで自傷行為。今度の東大キャンパスでの凶行ではいずれも軽傷とはいえ、3名が怪我を負っている。東大理3合格の目標達成が厳しくなり、残り1年では追いつけないと断念し、死に場所として選んだのが東大キャンパスというだけならまだしも、現役の受験生を巻き添えにしたのだ。一連の報道に接して助川氏の念頭に浮かんだのは、「この子は仲のいい友達が校内にいたのか」という疑問だ。

 

「もし友人がいたら、そういう行動には及ばないし、そんな物の見方もできないでしょう。人は自身と関係ない者を全否定したり、いかようにも生きられはしますが、友人や家族との関係性が極端な行動に走るのを阻む。報道を見る限り、父母が勉強を強いたわけではありませんよね。大学職員の父親に、パートの母親、下に3人の弟妹がいる、ごく普通の家庭で彼は育った。何が凶行に駆り立てたのか、今の段階では軽はずみには言えない」

 

 そして、「もう卒業して40年も経つので、今も変わらないかはわからない」と前置きしたうえで、助川氏は在校時の思い出を語った。

 

「僕は神戸育ちですが、小学校高学年でアメフトに夢中になり、進んだ公立中には部がなかったので、毎週日曜にアメフト教室に通っていたんです。当時の大学アメフトは京大の全盛期で、京大に憧れた僕は高校で本格的にやりたいと思い、進学校でできるところを探したら、関東以外では東海だった。だから、僕も高校からの外来生です。学校の近所に下宿していました。理系が得意だったので、将来は京大農学部に入り、アメフトを続けようなんて甘い考えでいた。ところが、毎日の練習は相当ハードで、すぐ勉強が追いつかなくなりましたね。中学からの内来生は入学時点で高1のカリキュラムを終えていましたから、ついていけっこない」

 

 東海では高2になると、成績順に理系文系をA群(成績上位クラス)とB群で分けるが、助川氏はB群に属していた。そして、高校進学での一人暮らしが人生を豊かに変えていく。

 

「友達が部屋に遊びに来て、あまりの本の少なさを嘆き、いろいろ貸してくれました。最初の一冊は、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』でした。しかも、読んだ後に感想文を書けとまで言うんです。それまで文学にも美術にも興味がありませんでしたが、小演劇を一緒に観に行ったりもしました。高いレベルでそんな話をする友人に恵まれ、夜通し語り合ったり、東海で揉まれましたね。世界が自分の中にいきなり飛び込んでくる感じで、日本だけが生きる場所じゃないとも思えた」(助川氏)

 

 結果として、エリートへの疑いが芽生え、文転して早大文学部に進んだ助川氏だが、高校で学んだことのほうがよっぽど濃密だったと実感。大学卒業後は「叫ぶ詩人の会」の活動などを通じ、若者たちに硬派なメッセージを放ち続けた。やがて人生相談の達人として、ラジオやテレビ番組で若者から寄せられる悩みに答えるようになった。そのころに使ったテキストを、2019年に大学教授となった当初は講義でも活用した。

 

「授業での生徒たちの反応からは、しっかりと“もがき”が感じられました。彼らの悩みのおもな原因はやはり人間関係で、人は他者がいなければ生きていけない存在なんです。A君のなかには、個人だけで作り上げた何かモンスターのようなものがいると感じます。しかし、僕も今年で還暦を迎えますが、いつ何時、“老人A”になるかわからない。まわりが全部敵に見えたら、充分にあり得ます」

 

 コロナ禍で進む分断や孤立が大人たちをも苛んで、京王線での無差別襲撃や渋谷の焼き肉店立てこもりなど、「拡大自殺」と呼ばれる事件が続発している。北新地ビル放火殺人事件の加害者である61歳の男性も、自殺を図った疑いがある。

 

 東海高校在校時に愛知県の管理教育を追い、デビューを果たしたノンフィクションライターの藤井氏はのちに、少年犯罪をテーマとして掲げるようになる。助川氏同様、「30年以上前の卒業生だから」と前置きしつつ、自身の学校生活について述懐する。

 

「僕は中学からの内来生ですが、あの露骨にして見事な4群選別では典型的な文Bでした。林修君は同級生ですが、彼なんか完全に東大コース。高校の文化祭では各クラスでひとつテーマを決め、発表するのが伝統なんですが、僕は管理教育を取り上げました。東海がそうでないからこそ興味を持ったんです。でも、東海も今よりバンカラ気質で体罰もありましたし、けっして無縁ではなかった。また、当時から医学部進学者は多かったけれど、今ほどではなかったでしょう。中学まではわりと厳しいんだけど、高校になると一気にリベラルに変わる。その辺が文化祭などの行事に表われますね」

 

 東海にはもう20年も続く「サタデープログラム」という、毎年2月と6月におこなわれる名物行事がある。各分野の第一線で活躍する人物を招聘する公開講座で、愛知県と名古屋市の後援の下、私学助成金で運営され、企画や出演交渉を120名もの生徒の実行委員たちがおこなう。2020年6月には河野洋平元ワクチン担当相やフリーアナウンサーの石井亮次氏が参加し、助川氏や藤井氏もかつてゲストで呼ばれている。

 

「僕の所へも生徒だけで打ち合わせに来ましたね。今はカヅラカタ歌劇団(男子中高生の演劇部)の顧問を務める久田光政先生が仕掛け人ではあるんだけど。先生も東海出身ですが、僕が高校のときに着任し、今でも親しくつき合ってますよ。先生たちもけっこう政治的だったし、僕がいたころには部活棟があって、学生運動をしているヤツらが泊まり込んでてね(笑)。もう解体の予定だったんだけど、僕も反対闘争には参加してました」(藤井氏)

 

 高校に入学し、社会活動に目覚め、さまざまな友人との交流から、「いろんな可能性があると気づかされた」とも藤井氏は語る。

 

「口うるさく言ったって、生徒は聞かないし、いちいち面倒を見る学校じゃない。浄土宗の学校だからか、ともかく寛容なんです。ただ、卒業するとわかるんだけど、どこか温室なんですよ。東京に出るとブランドも通用しないし、世間の荒波に揉まれ、挫折感から命を落とした人も、同級生や先輩に2~3人はいました。問題の生徒はそんな弱さが早く出ちゃったのかな。でも、学校に責任があるとは思わない。罪状から逆送致されるので、検察の捜査でどんな情報が出てくるかを見守るべきです」(藤井氏)

 

 確かに高2ともなれば、ほぼ大人に足をかけている。しかし、助川氏が言うように、大人だから強いわけではない。浄土宗の教えでは、人はみな末法を生きる凡夫であり、その弱さを受け入れ、「念仏を唱えて阿弥陀仏に救われる存在だと自覚する」ことが肝要だとされる。少年は自身の弱さを受け入れられなかったのだ。

 

 そして、学校側からすれば、ひと筋の光ともなる言葉をAは犯行後すぐ発している。彼はこう言ってうなだれたという。「高校にごめんなさい……」。

 

文・鈴木隆祐

 

( SmartFLASH )

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