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鎌倉殿は稀代の “エロ将軍”…源頼朝の隠し子は、薩摩藩島津家の始祖だった

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.04.10 11:00 最終更新日:2022.04.10 11:00

鎌倉殿は稀代の “エロ将軍”…源頼朝の隠し子は、薩摩藩島津家の始祖だった

源頼朝・政子像(写真・アフロ)

 

 NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人』は、平家打倒を立ち上げた源頼朝・義経など猛者たちの合戦ぶりが見ものだが、「女性たちの色恋にも目が離せない」と、坂東武者に詳しい郷土史家はこう評する。

 

「それは頼朝をめぐって、女性たちが激しいバトルを演じるからです。頼朝は石橋山の戦いでは平家に敗れるも、富士川の戦いで大勝してからは勝ち運に乗ります。一方、戦には強いが、敵方の娘をはらませてしまうほど女性にだらしがなく、しばしば妻の北条政子は嫉妬に怒り狂ったものです」

 

 

 頼朝の父・義朝は平治の乱で平清盛に殺害され、頼朝ら3兄弟は追放。頼朝は伊豆の伊東祐親のもとに身柄を預けられる。伊東は平家の家臣で4人の娘がいたのだが、頼朝は敵方の娘にもかかわらず三女とデキてしまうのだ。実際、「曽我物語」にはこう書かれている。

 

《三の姫は美女の聞えありければ、兵衛佐殿(頼朝)忍びてこれを思し召しけるほどに、月日久しく積りて、若君一人出て来させ給ふ。(略)御名をば千鶴御前とぞ呼ばれける》

 

 頼朝は、伊東が番役で京都に赴任中を狙って三女に手を出した。伊東が3年の役目を終えて伊豆に帰って来ると、見覚えのない幼子が目の前をウロチョロし、おまけに「おじいちゃま」などと甘えてきたという。うろたえた伊東は子守役に問いただすと、幼子は頼朝が娘に産ませた子とわかり、いよいよ激怒するのだ。

 

 ここで再び「曽我物語」を開くと、こうある。

 

《伊東庄松川の奥、岩倉の滝山の蜘(くも)が淵に石を付けて沈めよ》

 

 千鶴御前の体に重石をつけて滝つぼに放り投げ、溺死させてしまえと、伊東は言い放つのだ。そのうえ、三女は頼朝から引き離してよそに嫁がせてしまう。これを知った頼朝は、仇を打とうとするが祐親の弟に慰撫され、矛を収める。

 

 しかし頼朝の情欲は、三女との断絶を契機に収まるどころか、かえって盛んとなるのだ。そのような彼の前に現われたのが、北条政子だった。

 

 政子は北条時政の娘であるが、頼朝は政子の場合も、時政が京都に出張中を狙ってモノにしている。まるで泥棒猫の手口だが、どうもこと女性となると、コソコソした頼朝になるのはどうしたことか。

 

 ともあれ、政子も気丈夫な女性。野心家の頼朝にたちまち魅了され、父親の反対を振り切り、伊豆の山道を越えて頼朝との愛を貫こうとするのだ。この一途さから、その後の頼朝のなんともしまりのない下半身の緩さに嫉妬心をたぎらすことになるのだ。

 

「次に頼朝の前に現われたのが亀の前です。このとき政子は頼家を身ごもっていました。政子は頼朝との間に二男二女をもうけるが、臨月で苦しんでいるとき、頼朝は亀の前を愛妾にし、あろうことか家来の家に囲っていたのです。政子が嫉妬するのも無理ないですよ」(前出・郷土史家)

 

 亀の前は良橋太郎の娘で、頼朝とは流刑中から親しい仲だったといわれている。そんな亀の前を頼朝は家来の伏見広綱の屋敷に亀の前を囲い、政子の臨月中に密通を重ねていたのだ。

 

 めでたく頼家を出産後、自邸に帰った政子に待っていたのは、亀の前のもとにいそいそと通う頼朝の姿。すぐさま家来に命じて伏見の屋敷を焼き討ちし、伏見を流罪にしてしまう。ただし亀の前は不問にし、そのまま愛妾に収まっていたというからさだめし頼朝、胸をなで下ろしたに違いない。

 

 頼朝といえば猜疑心が強く、弟たちを容赦なく抹殺するほど冷淡とも言われている。ところが、女性となると途端にデレデレ。亀の前に見せた政子の仕打ちで、頼朝もさすがに懲りたかと思いきやさにあらず。なんと今度は、人妻に手を出したからいやはやなんともである。

 

「頼朝は兄の妻に恋文を書き送り、接近を試みたところすげなくされるんです。初めて屈辱を味わった頼朝は、報復措置を取るんです」(同前)

 

 兄とは源義平のことで、異母兄弟。義平は源氏の名門、新田義重の娘を妻にする。頼朝にすれば義姉にあたる。しかも、人の妻。しかし、これぞと思う女性はことごとく口説く頼朝に限って、“片思い” という言葉は無縁だった。

 

 ところが、今度ばかりはそうでなかったらしい。鼻であしらわれ、手痛いしっぺ返しに遭ったのだ。初めて味わった屈辱に逆上し、義重を源氏一党から破門し、追放するなどの報復に出たのだった。

 

 このように、義姉に無視されながらもなお頼朝はあくまで貪欲。次なる愛を求めて咆哮ひときわ雄々しく、荒野を目指すからじつにあっぱれ。

 

「彼は丹後局という女性との間に、またまた隠し子をもうけるんです。しかもその隠し子は、のちの薩摩藩島津家の始祖といわれているのです。それを裏づけるのが『寛政重修諸家譜』です」(同前)

 

 またまたというのは前出の三女のことだが、政子という正妻がありながら隠し子とはどういうことか。同書にはこうある。

 

「頼朝将軍の落胤(らくいん=正妻以外の女性に生ませた子)なり。母は比企判官能員が妹。丹後局と称す。かつて頼朝に仕え、寵を得て妊めることあり(略)ひそかに鎌倉を去って京師にゆかしむ(略)にわかにして産にのぞみて男子を生む。忠久これなり」

 

 丹後局は嫉妬深い政子の逆恨みを恐れて京都に逃亡し、無事男児を出産。頼朝はその子を宮家へ養子に入れ、成長後は頼朝の庇護を受けて薩摩島津庄の地頭職に任命され、島津忠久と名を改めて、薩摩藩の始祖となったというのだ。

 

 島津家の始祖は頼朝の隠し子だったとは驚きだが、それにしても頼朝の旺盛な性欲は、じつにお見事というほかない。頼朝役の大泉洋が、“エロ将軍” ぶりをどう演じて見せてくれるのかーー。

 

文・岡村青

 

( SmartFLASH )

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