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有田芳生氏 自宅にカッターナイフ入り封書、車に発信器、震える男が「ぶっ殺す」…統一教会問題追及の50年
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.08.30 06:00 最終更新日:2022.08.30 06:00
安倍晋三元首相(享年67)の銃撃事件から早くも50日が経過した。同事件で逮捕された山上徹也容疑者(41)は、犯行動機として「母親が統一教会に入信し、自己破産もして、家庭がめちゃくちゃになった」と供述。
これを受けて雑誌やテレビをはじめ、あらゆるマスメディアが、統一教会の霊感商法や合同結婚式をめぐる問題について報道するようになった。いまやすべての日本人が、統一教会の“専門家”を求めていると言っても過言ではない。
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「私の統一教会との関わりは、テレビでは40年と言っていますが、実際にはもう50年になります」
そう語る有田氏は、統一教会問題の最古参ジャーナリストだ。「朝日ジャーナル」に教団の追及記事を本格的に書き始めたのは1987年のこと。それ以降、教団からはさまざまな攻撃を受けてきたという。
「まずは自宅への抗議電話ですね。本名を名乗って“けしからん”と申し立ててきました。1992年に『週刊文春』などに記事を書いたときは、脅迫状が届きました。ハサミを使ったからよかったようなものの、手で開封したら怪我をするようにカッターが仕掛けられていたんです。
明らかな尾行はそのときからありましたが、ひどかったのはやはり1992年、ワイドショーに出演した後です。(教団の本部がある)渋谷駅の階段を上っていたら、向かいから来た男に左胸を思い切り殴られて、『この顔を覚えておけよ』とすごまれました。北海道に存在した教団のダミー組織を取材しようとしていたら、ブルブル震えている男に『ぶっ殺してやろうか』と言われたこともあります。まあ、言うだけでしたが」
教団が組織的におこなってきた脅迫・尾行などは、枚挙にいとまがないという。
「たとえば、『夜中の3時から4時の間に無言電話をかけなさい』といった指示を信者たちに下したりしていたんです。何人もの元信者たちがそれを証言しています。当時は電話番号通知もない時代だったので、電話を受けたほうは、どこからかかってきたのかわからなかったんですね。尾行についても、教団は『白い旅団』と呼ばれる興信所を雇ってやっていました。隠し撮りなどもありましたね。
1993年の山﨑浩子さんの脱会騒動でも、関係者の自宅近くにずっと車が停まっていて、そこから監視されていました。車に発信器が取りつけられていて、移動の状況が把握されていたなんてことも。取材で東京を離れている間も、じつはずっと尾行がつけられていたのだと、あとで教団内部の人への取材から判明したこともありました。教団としては、私が移動する先に山﨑さんが保護されていると踏んでいたようです」
ただ、そんな教団も昨今は、かつてないほどに弱体化していることが肌で感じられると有田氏は言う。
「最近は、嫌がらせの電話が殺到することもなく、抗議文を送りつけてくる程度。統一教会も大変な状況なんじゃないでしょうか。教団68年の歴史のなかでも今が最大の危機だと思いますよ」
だからこそ、今まで以上に統一教会を鋭く追及していかなければならないと有田氏は力を込める。
「たとえば、国会議員の公設秘書や私設秘書のなかにどれくらい信者が紛れ込んでいるのか。’80年代に私が調べたときには、今ではできないことですが、戸籍まで取得して、信者名簿と照合したりしながら半年かけて裏を取りました。今も、『国会便覧』などを頼りに、政界内部の統一教会関係者を時間をかけて調べていこうと思っています」
明るみに出されなければいけない問題は、あまりに多い。
有田芳生
1952年、京都府生まれ ジャーナリスト、前参議院議員。おもに週刊誌で、統一教会、オウム真理教事件等の報道に長年たずさわる