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レイデオロが優勝した「日本ダービー」歴史をいま振り返る

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2017.06.18 16:00 最終更新日:2017.06.18 16:00

レイデオロが優勝した「日本ダービー」歴史をいま振り返る

『1983年、常識破りの後方一気で三冠馬となったミスターシービー(写真:JRA)』

 

 5月28日、2番人気だったレイデオロ(クリストフ・ルメール騎乗)が優勝した日本ダービー。

 

 かつて「ダービーを勝てたら騎手をやめてもいい」と言ったのは往年の名騎手、柴田政人だった。天才・武豊いわく「ダービーを勝つことが子供のころからの夢だった。ダービージョッキーになることを夢見ないで騎手になる子はいない」。

 

 騎手のみならず競馬に携わるすべての人が「特別なレース」と口を揃える。それが日本ダービーだ。

 

『1932年、記念すべき第1回はワカタカが優勝(写真:JRA)』

『1932年、記念すべき第1回はワカタカが優勝(写真:JRA)』

 

 第1回の日本ダービーがおこなわれたのは1932年。芝の2400メートル、出走できるのは3歳の牡馬・牝馬のみという条件は現在まで変わっていない。

 

 戦争による中断はあったが、今年で第84回。国内GⅠレースとしては最古の歴史を誇っている。

 

「サラブレッドにとっては一生に一度のチャンス。有馬記念や天皇賞は何度も挑戦できますが、ダービーは3歳だけ。まさに一発勝負です」

 

 と語るのは血統評論家の栗山求氏だ。

 

「スピード重視の傾向が強い近年の競馬界でも、2000メートルの皐月賞より2400メートルのダービーが格は圧倒的に上です。ダービーというレースが持つ伝統、重みとしか言いようがないでしょう」

 

 ちなみに日本ダービーというのは副称であり、正式名称は「東京優駿」。第2回までは目黒競馬場でおこなわれ、第3回以降は府中の東京競馬場で開催されている。優勝賞金はジャパンCカップ、有馬記念の3億円に次ぐ2億円だが、同じ牡馬クラシックの菊花賞=1億1500万円、皐月賞=1億円と比べても、ダービーの格というものがわかる。

 

 ダービーの翌週には次の世代による新馬戦が始まるが、ここからもダービーを頂点として競馬のサイクルが形成されていることは一目瞭然なのだ。

『1943年、ロープを使った「バリヤー」式スタート(写真:JRA)』

『1943年、ロープを使った「バリヤー」式スタート(写真:JRA)』

 

 ダービーとは経済や世相などを反映する“時代の鏡”だと栗山氏は言う。

 

「創設から戦前までの勝ち馬の多くは国営の御料牧場と三菱財閥系の小岩井農場という2大牧場から出ていました。国力もあり血統のいい種牡馬を海外から輸入し、その子たちがダービーを勝っていた時代です」

 

 戦後、日本の馬産も財閥解体などの影響を大きく受ける。種牡馬輸入は禁止され、血統レベルも低迷する。

 

「日本の復興とともに、昭和30年代になると良血の種牡馬が日本に輸入されてきます。その代表格がアイルランドダービーを勝ったヒンドスタンで、その産駒から戦後初の三冠馬シンザンが出ています」

 

 そのころ、世界的な競馬の中心はヨーロッパからアメリカに移っていた。

 

「経済力の強いところには良血のサラブレッドが集まる。1950~1960年代のアメリカがまさにそうで、現在までつながるサラブレッドの血脈のほとんどがこの時代のアメリカから出ています」

 

『1964年、三冠馬シンザン(写真:JRA)』

『1964年、三冠馬シンザン(写真:JRA)』

 

 その潮流にうまく乗ったのが、いまの日本競馬で圧倒的な勢力を誇る社台グループである。

 

「ヨーロッパ志向が強かった日本にあってアメリカに目を向けていたのが社台です。1972年には世界的大種牡馬ノーザンダンサーの子であるノーザンテーストをアメリカで購入。同馬は1980年代から1990年代にかけて種牡馬として大成功を収めます。産駒ではダイナガリバーがダービーを勝っています」

 

 この成功がさらなる飛躍を生み出す。

 

「ノーザンテースト人気で“一口馬主”のクラブ法人も大成功。競馬ブームやバブル経済という背景もあり、競馬界の一大勢力となった社台グループが購入したのがサンデーサイレンスです」

 

 サンデーの来日は1991年。アメリカの最強馬が現役引退直後に日本で種牡馬入りするのは前例がなかった。

 

「サンデーは6頭のダービー馬をはじめ、多くの活躍馬を出し日本競馬を大きく変えました。子や孫たちが種牡馬となり、現在も大きな影響を与え続けています」

 

『1995年、サインデーサイレンス初年度産駒のタヤスツヨシ』

『1995年、サインデーサイレンス初年度産駒のタヤスツヨシ』

 

 そして国際化の時代、その波はダービーにも押し寄せている。1903年には外国人騎手が初めてダービーを制覇。2015年にはデムーロがダービー2勝めを挙げている。JRAの免許を取得したデムーロとルメールの2人が、社台グループの強力なバックアップを受け、大レースを勝ちまくっているのは周知のとおりだ。

 

 2009年には外国人馬主も認められ、近い将来、外国の大富豪が日本ダービーオーナーとなる日がくる……かもしれない。

 

(週刊FLASH 2017年6月6日号)

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