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「24年の長期政権」東京・豊島区長が死去 本誌が報じていた「指定暴力団トップ」との握手2ショット写真
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2023.02.12 18:06 最終更新日:2023.02.12 18:13
「子育てに適した街づくり、文化、そういったことに本当に尽力され、区のイメージをアートの街に変えられた、たいへんな功労者だった」
東京都の小池百合子都知事は、2月10日の定例会見で、9日に死去した東京都豊島区の高野之夫区長(享年85)についてこう語り、死を悼んだ。
2023年1月、高野区長は新型コロナに感染したことが判明。体調が悪化し、以降は登庁していなかった。2月の区議会も欠席し、4月に予定されていた区長選には立候補せず、今期限りで退任する意向を議会に伝えていた。
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高野区長は豊島区議や都議を経て、1999年に区長に初当選。以来、6期24年にわたり豊島区政をリードしてきた。2019年には、LGBTなど性的マイノリティの事実上の婚姻を認める「パートナーシップ宣言制度」を導入するなど、先進的な取り組みもしている。
区民のために奔走してきた高野区長だが、本誌は区長が指定暴力団・極東会の松山眞一五代目(享年94)との交流があったことを、握手する2人が一緒に収まった写真とともに、2022年5月に報じた。
「極東会は、的屋系としては唯一の指定暴力団で、松山五代目にはカリスマ性がありました。的屋系 最後の重鎮でした。本部は新宿・歌舞伎町にありますが、以前は池袋に極東会の事務所があり、松山五代目はこの地をこよなく愛していました」(社会部記者)
2人をよく知るある暴力団関係者は、当時の取材にこう話している。
「松山五代目はもともと、ある国会議員の後援会に入っていました。その議員の依頼で、高野区長の初当選時から応援してきたのです。選挙や地域の行事など、ことあるごとに区長を支援してきました。以前は区長本人からお礼の電話がありましたが、コンプライアンス上問題があるということで、区長の奥さんから電話が来ることもありました」
写真は9年程前に撮られたもの。別の暴力団関係者はこう話した。
「区のイベントの後に催された宴会に松山五代目が出席し、同席していた高野区長と撮った写真です。松山五代目から、高野区長のことはよく聞いていました」
本誌が報じた後、区長はだんまりを決め込んだ。
「区の執務室からぜんぜん出てこず、我々が2人の関係について聞こうとしても、いっさい応じることはありませんでした。よほどふれられたくなかったのでしょう」(全国紙記者)
当時、豊島区広報課は「亡くなった松山眞一という人物が、指定暴力団の元会長であったことは承知しておりますが、その人物との交際はありません」と回答するのみだった。
松山五代目は2022年5月に死去。また、松山五代目の内縁の妻で、組員から「姐さん」と呼ばれていた女性は、豊島区体育協会の要職に就いていたが、すでに役職から離れている。
24年の長期政権から解き放たれた、豊島区の新たな船出が注目される。
( SmartFLASH )