中古車販売大手「ビッグモーター」の自動車保険の不正請求問題で、創業者の兼重宏行社長(71)の責任を問う声が高まっている。
兼重社長が記者会見をおこなわず、国交省の聴取にも応じていないためだ。一方で、従業員に向けたLINEでは、報道を《世間の関心を集めるため》と批判するなど、内弁慶ぶりを見せつけている。
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売上高5200億円(2022年9月期)の大企業を一代で築き上げた “独裁者” は、いかなる人物なのか――。
兼重社長は、1951年に山口県岩国市で生まれた。一家は、近くの川でアサリなどを採って生業を立てていた。近隣住民が語る。
「宏行くんの母は、最初の結婚で二男一女をもうけ、その後、夫を亡くしてから再婚した男性との間に、宏行くんが生まれました。両親はきょうだいを分け隔てなく育てていましたが、家が敷地の中に2棟建っていて、成長すると一棟に上のきょうだいが、もう一棟に宏行くんが暮らすようになりました」
工業高校を卒業した兼重社長は、一時自衛隊に入隊。同じころ、友人が働く自動車修理工場に顔を出すようになり、1976年に「兼重オートセンター」を設立した。
「ガソリンスタンド裏の狭い場所で、だいたい一人で自動車修理をやっていた。客はそんなにいなかったけど、数年で同じ町内に移転して、人を雇うようになった」(別の住民)
兼重社長に店舗を貸していた大家が、当時を振り返る。
「うちの母親が急に病院に行くことになったとき、『僕が送ります』と車を出してくれましたね。その後、『ここは住宅地なので、近所に騒音で迷惑をかけてはいけないから』と引っ越していきました。でも、騒音で苦情が出ていたわけでもなかったんですよ」
社名を「ビッグモーター」とし、3店舗にまで拡大させた兼重社長は1986年、岩国市内に自宅を建てた。
「広い庭のある和風建築でした。それまで田んぼだった場所が売り出されたなかで、兼重さんは3区画を購入しました。出勤のときは、国産SUVの運転席から、笑顔で会釈してくれました」(別の住民)
岩国で話を聞くと、「今回の報道を見て、当時の兼重さんのイメージとまったく違う」と驚きの声が返ってくる。だが、兼重家をよく知る人物は、こんな証言をしてくれた。
「ビッグ社が多店舗展開を始めたころ、宏行くんに頼まれて保証人になっていたのはお兄さんたちでした。ところがある日突然、宏行くんが『これからは俺一人でやる。きょうだいの縁も切って、岩国から出る』と、宣言したんです」
その理由は定かではない。
「喧嘩したわけでもなく、お姉さんにいたっては経理を手伝っていましたから。当のきょうだいのなかには、『全国展開のためには、大きな借金を背負う必要がある。家族には迷惑をかけられないと、宏行は退路を断ったんだ』と理解を示す者もいましたが……」
その後、兼重社長は創業期を支えたきょうだいと一度も会うことはなく、岩国にも戻らず、連絡すら取っていないという。
そして2020年、兼重社長は、都内の超高級住宅地に自宅を建てた。地上2階、地下1階建てで、噴水や茶室もある。
「この地区は路線価で坪600万円前後ですが、実際の取引価格は約1000万円です。兼重邸は470坪あり、土地だけで約47億円です。一方、建物の床面積は約410坪で、坪300万円として外構外壁を含めると、約13億円になります。土地と建物で、最低でも約60億円になるでしょう」(不動産業者)
この土地にはかつて、ソニーの創業者である故・盛田昭夫氏の4階建ての自宅があった。盛田家から、兼重社長の資産管理会社に所有権が移ったのは2016年。周囲を威圧するかのような兼重邸が竣工したのは、その4年後だ。
盛田氏の長女である岡田直子氏に電話で話を聞いた。
「ビッグモーターという社名も、兼重さんという方のお名前も今、初めてお聞きしました。実家をお売りするときは、間にいろんな方が入っていましたしね。個人的なつながりでお売りしたわけではありません」
岡田氏は「私が口を出すことではない」と取材の辞退を申し出つつ、こう語った。
「『今はすごいお家が建っている』という噂は聞いていました。しかし、私にとっては、思い入れのある実家です。跡地を極力見たくなくて、そばを通らないようにしていました。父も愛した、素晴らしい桜の木があったんですけど、切られてしまいましたしね」
兼重社長の “砂上の楼閣” の崩壊は近い。経済ジャーナリストの松崎隆司氏が語る。
「損保各社は今後、ビッグ社に水増しされた保険金の返還請求をするでしょう。加えて、各社は契約者の掛け金を遡り、再計算するための莫大な経費も請求する可能性があります。今、ビッグ社の利益は急速に減少しているといわれており、今後はさらに資金繰りが悪化していくでしょう」
兼重社長が捨てた故郷には、現在も「ビッグモーター岩国店」がある。取材時には閑散としていた店内だが、かつては一人の好青年が夢を抱き、忙しく走り回っていたはずだ。