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不倫、お遍路、東電…引退宣言の菅直人元首相が明かす“事件の舞台裏”、震災翌日の現地乗り込みは「間違っていなかった」

社会・政治 投稿日:2023.10.31 06:00FLASH編集部

不倫、お遍路、東電…引退宣言の菅直人元首相が明かす“事件の舞台裏”、震災翌日の現地乗り込みは「間違っていなかった」

「ここには43年間、お世話になりました」と菅氏

 

 当選14回、政治家として43年間歩んできた立憲民主党菅直人元首相(77)が、ついに引退宣言をした。

 

「この年になって、まだやろうと思えばやれるけど、皆さんがどう思うか。(妻の)伸子も地元の活動をずっとやってくれていて、以前から『だいたいこのあたりで』と話していた。最後は、あうんの呼吸ですね」

 

 

 前回、2021年の衆院選に挑んだのは、同じ民主党だった長島昭久氏が、自民党から菅氏の選挙区に国替えして出馬したことが大きな理由だ。

 

「長島さんとは一緒にやってきた仲。かつての選挙では、伸子が率先して長島さんのために活動したこともありました。長島さんが私の選挙区から立候補したときは、『何を考えているんだ。仁義にもとる』と怒りすら覚えました。伸子は完全に戦闘モード。絶対に負けられなかった」

 

 菅氏の政治活動は、女性運動家の故・市川房枝氏の選挙を応援したことから始まる。1980年の衆院選で、社会民主連合から出馬して初当選。その後、新党さきがけを経て、自民党、社会党との自社さ連立政権では厚生相として入閣。薬害エイズ問題や、O157集団食中毒に取り組んだ。

 

 さらに、民主党の旗揚げに参加し、鳩山由紀夫氏とともに共同代表に。2009年には政権交代を成し遂げ、翌2010年、ついに首相の座に就いた。

 

 そこへ、未曽有の被害をもたらした東日本大震災が襲った。菅氏は発生からの1週間を、自身の政治家人生の中で「もっとも過酷で、もっとも重かった日々」と述懐する。次々と押し寄せる難題に対処するため官邸に詰め、休憩もソファで仮眠を取るのがやっとの極限状態だったという。

 

「あくまで国民の命を守るための決断だった」と言うが、福島第一原発事故の翌日、ヘリで現地へ乗り込んだ菅氏の行動への批判は強かった。

 

「経産省の原発担当を呼んで状況を聞こうとしても、『経済部卒の文系だからよくわからない』と言うんです。東電に問い合わせても、いっこうに情報が入ってこない。これはもう、私が行くしかないと判断しました。まわりには止められましたよ。ほかにも津波の被害など、問題山積でしたから。

 

 でも、原発のことは現地じゃないとわからない。それで、官邸の屋上にあるヘリポートから自衛隊機で飛び立ちました。唯一きちんと話ができたのは、福島第一原発の吉田昌郎所長だけでした。ベントが難航している理由をわかりやすく解説し、最後は決死隊を募ってでも弁を開けると言ってくれました。その後、東電が『福島原発から社員を全員撤退させたい』と言ってきたので、すぐに東電本社に向かった。私は、『誰が原発を制御するんだ。東電しかないだろう』と怒鳴りました。

 

 あのとき、東電が撤退していたら、関東は全滅でした。まさに、映画『日本沈没』のようになると思ったんです。だから福島に行き、東電本社に乗り込んだことは間違っていなかったと思っています。そうしないと、最悪の事態は避けられなかった」

 

 短気な性格から、「イラ菅」の異名を取る菅氏も、このときばかりはその怒声が日本を救ったといえるだろう。

 

 菅氏の奮闘とは裏腹に、直後の統一地方選で民主党は敗北。小沢一郎氏を中心とする党内勢力が、菅降ろしに動いた。そんな小沢氏を、菅氏は「自分とはまったく異なる種類の政治家」と表現する。

 

「小沢さんは独特な人です。本人は総理になりたいと思っていないが、自分の思惑どおりになるように裏で操るんです。たしかに、民主党が政権を取れたのは、小沢さんのおかげであることは間違いない。でも、私が内閣を作ったときに小沢さんを外すと、あの手この手で足を引っ張ってきた。最後は私に対する不信任案に、小沢さんは自民と一緒に賛成しようとしたが、さすがにそれは阻止しました」

 

 逆に、いちばん気が合った政治家は誰か?

 

「じつは、自民党の加藤紘一さんとはいろいろ話し合える仲でした。「加藤の乱」のとき、森内閣不信任案への賛成を求めたこともあります。加藤さんは自社さ連立政権を一貫して支えた。自民内ではリベラル派でしたね」

 

かつて菅氏は、「カイワレ大臣」と呼ばれたことがある。O157騒動の“犯人”という濡れ衣を着せられたカイワレの安全性を訴えるため、記者会見で自らカイワレを食べたことに由来する。その舞台裏を尋ねると、「そんなことあったっけ?」のひと言。まさか記憶にないのか……。

 

 また、女性との不倫疑惑を週刊誌に報じられ、伸子夫人から「脇が甘い」と一喝されたこともある。そのことに関して、菅氏は「今さらいいでしょう」と一蹴した。

 

 そして、四国のお遍路も忘れられない。頭を丸刈りにし、白装束に身を包んだ姿には度肝を抜かれた。年金未納が発覚し、党代表を辞任した2004年7月から開始した。

 

「足かけ10年で、全88カ所を回りました。すべて歩きで。じつは、歩くのが好きなんです。いい旅だったなあ。お遍路については、私は妻以外の誰にも話していなかったのに、さあ出かけようと思ったら、目の前にテレビカメラマンがいた。寺の住職が、記者クラブに連絡していたんですね。最初の寺に着くと、記者がワッと集まっていた。それで全国放送になっちゃった。
 なかには意地悪な記者がいて、山の上の寺に行くのに、私がロープウェイに乗るんじゃないかと勘繰って、麓で待ち構えているんです。もし本当に乗っていたら、政治生命を断たれたかもしれない(笑)。『あいつ、歩くと言っていたのに騙した』と叩かれてね」

 

「世代交代」のため、後進に席を譲る決断をした菅氏。「市民政治」と「戦うリベラル」の旗を引き継いでほしいと語る。議員生活に終止符を打っても、古い政治を変える活動は続くーー。

 

写真・長谷川 新、時事通信、共同通信

( 週刊FLASH 2023年11月14日号 )

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