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北海道の無人番屋にヒグマが闖入「一升瓶2本が空に」ビールより日本酒が好き?【知床酒盛り事件】

社会・政治 投稿日:2023.11.25 06:00FLASH編集部

北海道の無人番屋にヒグマが闖入「一升瓶2本が空に」ビールより日本酒が好き?【知床酒盛り事件】

写真・AC

 

 1996年5月、知床半島の無人の番屋がヒグマに荒らされているのが発見された。5月31日付の毎日新聞夕刊は、「ヒグマが酒盛り!?」の見出しで事件を詳報している。

 

 荒らされたのは羅臼町から40キロ離れた知床半島に点在する、船でしか行けない5軒の番屋で、窓や玄関が破られ、冷蔵庫が倒されるなどの被害があった。

 

《缶ジュースなどはツメで器用に穴を開け、中身は空っぽだった。ある番屋では缶ジュース約200本、日本酒の一升瓶2本が空で、缶ビールはケースの半分に手をつけていたが、残りはそのままだった》

 

 

 ビールよりも日本酒が好きらしい。

 

 日本酒といえば、明治20年頃の積丹半島、神恵内村で、次のような笑い話も記録されている。

 

《ある朝、若者が例のドブロクを飲むために小屋に入ると、ドブロクはあたり一面に流れているし、大きな桶はこなごなに壊れていました。驚いた若者は大声で「大変だぞう」と叫ぶとみんなが集まってきました。その中の一人がふと山を見ると、裏山の急斜面を二頭の大熊が、登ったり、ころがり落ちたりしているのを目にしましたが、その格好は何かに浮かれて踊っているようでした。

 

 さっそくみんなでとり押さえたのですが、その腹の中には少なくとも一斗五升位(約二十七リットル)のドブロクが入っていたそうです。熊は一晩中ドブロクを飲んで、夜明け近くまで酔いつぶれていたが夜が明けたので、急いで山に帰るのに急斜面を登ろうとしたが、腰が抜け捕らえられ、はかなくもカムイと化したのです。

 

 私は九十才を超える今日まで、熊の酔っぱらいを見たのは初めてです》(『古老が語る神恵内』神恵内村/昭和57年、澤口喜代松談)

 

 また、増毛村岩尾集落では、《二斗だる十四本の酒を一夜に熊に飲みつくされたることあり》(『増毛町史』川崎幸作の証言)とある。二斗=36リットルなので、14本というと504リットルである。

 

 人家に侵入して冷蔵庫を漁るなどの被害は、他にも報告されている。1988年7月17日付の朝日新聞日曜版に、羅臼町の漁師宅で起こったヒグマ闖入事件の顛末をまとめた、本多勝一氏による記事「冷蔵庫を荒らした知恵者」が掲載されているので、以下に抄出しよう。

 

 1987年9月15日のこと。真夜中に目が覚めたコノエさんはトイレに立った。そして床に戻った直後、さっき通ったばかりの台所から「ガラガラーン!」とものすごい音がした。クマだと直感した彼女は夫を起こし、足音を忍ばせて2階に寝ている長男夫婦のもとに避難した。

 

 再び台所が騒がしくなった。セトモノの割れる音や何かを食べる音、「ドターン」と家が震動するほどの音がした。

 

 電話は下の居間にあるので、かけられなかった。意を決した長男が階段を降り、電話線を引っ張って電話器をたぐり寄せ、妻の実家に電話した。ヒグマを驚かそうと、目覚まし時計をセットして投げてみたが、落ちた弾みで電池が外れてしまった。

 

 万策尽きてヤケクソになった長男が、「ワーッ」と叫んだ。すると台所の気配がピタリと止んだ。さらに何度も叫んでみた。すると家の外に、山のような巨体がのっそりと現れて、畑の方に消えていった。

 

 猟師が到着して足跡を追うと、どうやら子熊も連れていたらしい。さらに現場検証を進めた結果、ヒグマとは思えない「礼儀正しさ」に、人々は驚いたという。

 

《サシミや揚げ物などの皿が冷蔵庫から取り出され、食べたあとの皿が割れもしないで六、七枚重ねてあったという。さらに、一升瓶に清酒がほどあったのだが、倒れて空にされ、床にこぼれた形跡もなく、ヒグマが飲んだに違いないとも。梅干しとピーマンは嫌いらしくて手つかず。メロンは表面の薄い皮だけきれいに残し、ほとんど芸術的ともいえる器用な食べ方だった》

 

 台所の引き戸は窓が割れていたものの「正しく」引き開けられていたし、生ゴミには一切手をつけず、最初から冷蔵庫が目的だったかのような荒らされ方だったという。

 

 17日深夜には、漁師宅から500mほどの民家で、勝手口ドア、ガラス3枚などが壊される被害があった。家族4人は家の中でじっとして無事だった。

 

 そして22日朝、犯人と見られる親子熊が射殺された。親グマは体長約1.5メートル、体重約120キロ。5歳の雌グマで、現れた場所、ツメの大きさなどから、台所を荒らした熊と同定された(北海道新聞9月22日夕刊)。

 

 ヒグマの知能が高いというのは、古くから指摘されている。

 

 開拓当時の移民の間では、年齢を経たヒグマが人間の言葉を理解すると信じられていた。そのため山中でヒグマについて語ったり、悪口を言うことは固く禁じられていた。ヒグマのことを「山親爺」という「隠語」で呼び習わすのも、そこから来ているようである。

 

『北海道熊物語』(寒川光太郎)に、興味深い挿話が収録されている。

 

《(ヒグマに)作物を散々に荒されたある寡婦が、絶望のあまりその畑に佇み、誰へといふわけではなく、綿々と恨み言を訴へた。するとその翌日のこと、貧しい彼女の住居の前に夥しい新鮮な鮭が山と積まれてあつたが、ーーそのどの一尾にも鋭い歯痕がついてゐたという》

 

 思いがけない「お詫びの品」に驚喜する寡婦を、森の奥でじっと見守る山親爺……なんとも微笑ましい絵ではないか。

 

中山茂大
1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。明治初期から戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し、ヒグマ事件を抽出・データベース化。また市町村史、各地民話なども参照し、これらをもとに上梓した『神々の復讐 人喰いヒグマの北海道開拓史』(講談社)が話題に。

( SmartFLASH )

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