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日韓共催W杯のCMプロデュースをした男が語る「人生3度の転機」

社会・政治 投稿日:2017.11.02 11:00FLASH編集部

日韓共催W杯のCMプロデュースをした男が語る「人生3度の転機」

『写真:AFLO』

 

 札幌で生まれ育った。実家があり、好きな街だったので、いずれここで就職し、暮らしていくのだろうと漠然と思っていた。

 

 大学3年生が終わっていざ就職活動となったとき、就職がピンとこなかった。心の準備もできていなかったうえに、自分が何をしたいのかはっきりしていなかった。

 

 それで、就職活動から逃げるようにロンドンへ1年間の語学留学をした。1995年のことだったが、それが櫻庭恒太さん(44)の最初の転機となった。

 

「ロンドンを選んだのは、イギリスの文化や音楽が好きだったから。性格的にアメリカの感じではなかった。

 

 ロンドンへ行ってよかったのは、のんびりとした札幌と違って、人種の入りまじったポジティブな世界を知ったこと。学校にも各国の学生がいた。みんな積極的に自分の将来像を描いていて、彼らとよく未来を語り合った。

 

 それに、生活のなかで斬新なビジュアルが嫌でも目に飛び込んできた。映像を撮るのが好きだったので刺激され、日本の中心の東京で、映像の仕事をやりたいと思うようになった」

 

 櫻庭さんは帰国すると復学して、映像の制作会社に的を絞り就職活動をおこなった。その結果、テレビCMの制作大手、葵プロモーション(アオイプロ、現AOI Pro.)に受かった。

 

「入社後、テレビのADのような仕事を経て、わりと早くプロデューサーになれた。僕自身が映像を撮るわけではないが、このように撮ってほしいとか、撮れる人を割り当てるのが仕事。

 

 ただ何年もやっていくうちに、制作現場にいるより、営業的なことをする時間のほうが長くなっ た。仕事とはいえ、それが正直楽しくなかった。それでもう辞めようと思った。そのときが2回めの転機だった」

 

 35歳のときで、インターネットが大容量の映像を送れるようになった時期に重なった。テレビに代わる媒体として興味を持ち、ウェブサイトの作り方などを勉強したいと思った。それもあって辞職を願い出た。

 

 すると「君がやりたいことをやっている小さな関連会社があるから、そこへ行ってみないか?」と言われた。どのみち辞めるのだから、顔だけ出してみるかぐらいの気持ちで行き、そのまま3年半近く在籍することになった。

 

「インターネットが右肩上がりで伸びていて、僕が行った会社の調子もよかった。映像が必要なときは僕のノウハウを生かして、パソコンが得意な若い連中と仕事をしていた。

 

 ところがその会社がアオイプロに吸収された。ネットを無視できない時代になっていて、辞めたはずが、気がついたらまた社員に戻っていた」

 

 社員に戻ったが、やがて時代はまた変わる。今度はインターネットが身近になりすぎて、学生でもウェブが作れるようになり、価格破壊が始まった。ウェブ制作だけで業績を保つのが難しくなった。そのような状況のなかQuark tokyoは、アオイプロの子会社として2016年4月に設立された。櫻庭さんは3回めの転機を迎えた。

 

「同じアオイプロの人が社長で、来ないかと誘われて、設立と同時に出向した。僕自身は相変わらず映像を作っているが、会社はデジタル全般の広告プロデュースをおこなっている。映像制作には自信があるし、アオイプロの子会社という信用もあるので今は状態もいい。

 

 でも技術革新など変化のスピードが速いので、今後が問題だ。社員一同で、新しい狩場を探して仕事を成り立たせようと、予測不能な大海原をワイワイと楽しく渡っている」

 

 日韓同時開催となった2002年のワールドカップのアディダスのCMは、櫻庭さんがプロデュースした。就職前は東京で3年間ほど仕事をして、札幌に帰る予定だった。それがいつの間にか20年以上経った。新たな職場での責任ある立場ゆえに、札幌に帰る日はさらに遠くなった。

 

(週刊FLASH 2017年11月14日号)

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