社会・政治
美空ひばりの興行を手がけ、山口組の名を天下に轟かせた男「田岡一雄」ほか伝説のヤクザたち【西日本の任侠列伝】(画像1/18)公開日:2024.05.18 更新日:2024.05.18

●【兵庫】山口組を日本一の組織にした親分/田岡一雄(1913~1981年) 徳島の農家に生まれた田岡は、母親の死で神戸市に移転。偶然にも、同級生であった二代目山口組山口登組長の実弟と再会、山口組に入門する。戦後、33歳のときに三代目を継承した。組員はわずか33人だった。 田岡は賭博の収入に見切りをつけ、神戸港の港湾荷役業に進出。また、興行会社の神戸芸能社を立ち上げ、美空ひばりの興行を手がけるようになり、配下の組員にも「正業を持て」と指導していた。 一方で、山口組の全国への進攻作戦を進め、勢力を拡大し、山口組の名を天下に轟かせた。人心掌握術に長け、多くの大幹部を輩出した。
1/18

●【滋賀】『朝生』に出演、暴対法と闘った男/高山登久太郎(1928~2003年) 大阪で出生、両親は朝鮮半島出身だった。戦時中は徴用され、軍需工場で働いた。戦後、両親とともに韓国に帰国するはずだったが、高山は大阪に留まり愚連隊を結成。その後、滋賀県大津市に移り京都の中川組の中川芳太郎組長と知り合い渡世入りする。 メキメキと頭角を現わし、二代目中川組を継承、さらに京都の名門・会津小鉄四代目を継承、高山はその会長に就任した。 1992年には暴力団対策法に反対して論陣を張り、業界のスポークマン的な役割を務め、論客として『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)にも出演。暴対法の問題点を指摘した。若いころから在日韓国人社会に貢献、1990年には大韓民国大統領表彰を受けた。
2/18

●【三重】博徒・テキヤ組織50団体を一本化した男/橋本達男(1924~2005年引退) 三重県出身の橋本は、テキヤ界の名門組織である極東の中興の祖・関口愛治の末子として極東関口系橋本組を県内に結成した。その橋本組が中心となって、県全体の老舗博徒組織やテキヤ組織約50団体を集め、1978年に独立組織として愛桜会を結成、初代会長を務めた。 その後、橋本は、五代目山口組渡辺芳則組長の舎弟として山口組入り。愛桜会は山口組の直参組織になった。
3/18

●【奈良】高校野球の監督、組長、そして画家に/山本集(1940~2011年) 五條市出身。大阪の浪商高校で張本勲氏らと甲子園を目指した後、板前の経験も。1965年、智辯学園高校硬式野球部の初代監督に就任。徹底した指導で強豪校に押し上げたが、1年半で退任した。 その後、ヤクザに転身。諏訪一家系淡路会に入って山本組を旗揚げし、組長を襲名。大阪では武闘派として恐れられた。後に諏訪一家の若頭補佐まで昇格するが、同級生から諭されて足を洗う。 以後は、好きな絵を極めるため、画家として生きた。関西国際空港には代表作「雄渾」が飾られている。
4/18

●【鳥取】山陰初の山口組代紋/小塚 斉(1923~2011年) 宮崎県都城市で生まれた小塚は、中国の鉄道会社に就職した。1941年、徴兵検査で甲種合格、熊本六師団工兵隊に入隊後は、再び中国に渡り、タイ・バンコクで終戦を迎える。 戦後帰国したものの、進駐軍と揉め事を起こし、鳥取にいた知人を頼る。米子市で小塚組を旗揚げ、青果業や土建業を手がけたほか、興行にも手を広げていく。1960年には三代目山口組地道行雄若頭の舎弟になり、山陰で初の山口組の代紋を掲げる。 また、日本海芸能社を立ち上げた。ほどなく直参に昇格する。引退後は中国人の受け入れ事業に取り組み、日中進交会を結成した。
5/18

●【岡山】四代目親分の無念を晴らす執念/竹中武(1943~2008年) 実兄の竹中正久は四代目山口組組長。ともに兵庫県の出身。小学生のころから、兄が結成した愚連隊に加わっていた。1961年、岡山に竹中組を創設。兄が四代目山口組組長に就任すると、竹中組を継承し直参に昇格、後には若頭補佐を務めた。 四代目組長の椅子をめぐり山口組が分裂、一和会を結成して激しい「山一抗争」が勃発。兄の正久が射殺されると、一和会に対して執拗な報復を繰り返した。五代目組長体制が発足してもなお、山本広会長を追い続けた。 写真・『完全保存版-日本のヤクザ120人と昭和裏面史』(宝島社)
6/18

●【大阪】「殺しの軍団」「マテンの黒シャツ」/柳川次郎(1923~1991年) 韓国・釜山生まれの柳川は、戦後に家族だけが帰国。本人は大阪に留まり愚連隊を組織して暴れまわった。1958年、大阪・西成の抗争では、わずか8人で100人を圧倒し、以来柳川一派は「殺しの軍団」として名を馳せる。 同年に柳川組を結成。翌1959年、地道行雄若頭の舎弟となり山口組入りし、直参に昇格。山口組の全国進攻作戦の尖兵として、柳川組は北陸や北海道にも進出した。だが、警察は「第一次頂上作戦」として柳川組を締めつけ、解散に追い込んだ。 写真・『完全保存版-日本のヤクザ120人と昭和裏面史』(宝島社)
7/18

●【京都】京都に輝いた残侠の光芒/図越(ずこし)利一(1913~1998年) 京都に生まれた図越は、小学校卒業後は親戚が経営する食肉工場で働く。だが、すぐに愚連隊を組織、乱闘事件を起こして傷害致死罪で4年服役した。その後、中島会に入り渡世入り、次第に頭角を現わす。 戦後、警察の捜査をめぐり、朝鮮人連盟が京都七条警察署を襲撃した事件では、警察からの依頼で警察官を守り、双方から多数の死傷者が出たものの、図越の名は一気に広まった。 その後は京都一帯のヤクザ組織を大同団結させて中島連合会をスタート。後に京都の名跡、会津小鉄会を継承、三代目会長に就いた。1998年に死去。葬儀には一般市民数千人が参列したという。涙を流す舞妓の姿もあった。 写真・『完全保存版-日本のヤクザ120人と昭和裏面史』(宝島社)
8/18

●【山口】「西日本の重鎮」/合田幸一(1902〜1952年) 昭和初期、国会議員でもあった保良(ほら)浅之助が設立した籠寅組。その若衆として渡世入りした合田は、籠寅組の実質的二代目を継承、合田組を設立した。籠寅組の代紋を継いだものの、その名跡を汚さないという信念から家名を改めた。後に合田一家に改名。 おもに下関を中心に山口県下に勢力を拡大していった。1970年には、合田の提唱で三代目山口組に対抗する団体として関西二十日会を結成。大阪から福岡までの広い範囲で賛同を得た。 写真・『完全保存版-日本のヤクザ120人と昭和裏面史』(宝島社)
9/18

●【広島】「最後の博徒」/波谷(はたに)守之(1929~1994年) 呉市出身。広島で随一といわれた渡辺長次郎親分の子分になる。だが、広島への原爆投下で渡辺親分は死亡、呉に戻り土岡組に入門する。波谷は博才に長け、ベテラン博徒も舌を巻くほどだった。 彼に惚れ込んだ三代目山口組若頭補佐の通称「ボンノ」こと菅谷政雄と、舎弟の契りを交わした。 後に冤罪事件や抗争の当事者となり、その生き様が映画『最後の博徒』にも描かれた。1994年に大阪の自宅で拳銃自殺したが、その死の真相はいまだ謎である。 写真・『完全保存版-日本のヤクザ120人と昭和裏面史』(宝島社)
10/18

●【香川】語り継がれる「船上の盃儀式」/細谷勝彦(1931~2011年) 1947年に香川県に渡り、北原組で渡世入り。北原組は「第一次頂上作戦」で解散するが、細谷は親和会を発足させ、初代会長に就任する。代紋の「下がり藤」は北原組から受け継ぎ、細谷総裁の胸には「伝統を引き継ぐ」思いがあったとされる。 地元の若林組とは、1971年の抗争、1982年の「高松抗争」、1984年の「新高松抗争」と、流血が絶えなかった。 一方、波谷守之(波谷組組長)、森田幸吉(侠道会会長)、山田久(三代目共政会会長)との間で五分兄弟盃を交わした。この「船上の盃儀式」は、つとに知られる。 写真・『完全保存版-日本のヤクザ120人と昭和裏面史』(宝島社)
11/18

●【高知】20代で地元組織の若頭に/中山勝正(1937~1985年) 18歳前半で、高知最大勢力を誇った中井組で渡世入りすると、24歳の若さで若頭に任じられる。ほぼ同時期に、「白タク」を資金源とする自組織・自動車愛好会を、「強い漢の会」として豪友会と名を改める。 35歳で山口組直参にスピード出世。豪友会は、上部団体の中井組を追い越す勢力を見せていた。1984年、若頭に就任。傑出した才覚と切れ者ぶりを当時の竹中四代目にも買われていたというが、就任から半年余り、ヒットマンの凶弾に倒れ、波乱の生涯を閉じた。 写真・『完全保存版-日本のヤクザ120人と昭和裏面史』(宝島社)
12/18

●【福岡】「九州のライオン」/太田州春(くにはる・1934~1999年) 筑豊で生を受け、18歳のときには年上の荒くれ者六十数人を束ねる炭鉱経営者となり、1960年、26歳で太州商会を設立。1973年に太州会と改称。 抗争に次ぐ抗争を経て、やがて地元組織との間で「筑豊戦争」が勃発。最後には、太州会組員がブルドーザーで相手組織本部に “特攻” し、数十発を乱射するという攻勢で壊滅にまで追い込み、 “激戦区” 筑豊の制覇を成し遂げる。 「太州会の抗争に手打ちなし」の徹底姿勢から、「九州のライオン」の異名で畏れられた。
13/18

●【大分】「喧嘩太郎」「懲役太郎」/中野太郎(1936~2021年) 大阪を拠点に活動した中野会会長の中野は大分県日田市出身。喧嘩に強く義理人情にあつい男として知られた。1989年、五代目山口組渡辺芳則組長誕生とともに山口組の若頭補佐に就任。 しかし、1997年、宅見勝若頭が、中野会系組員に射殺される事件が起こる。 復帰もありうる「破門処分」を下した五代目は、会長への温情が込められていたというが、後により強い「絶縁処分」へと変更された。「わしのことは五代目が全部わかってくれる」と周囲に語っていたという中野。引退後は大分で療養し、2021年にこの世を去った。 写真・『完全保存版-日本のヤクザ120人と昭和裏面史』(宝島社)
14/18

●【佐賀】「侠客の元祖」といわれる/町のヒーロー幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべい・1622年~没年諸説あり) 江戸時代前期、唐津生まれ(諸説あり)の「侠客の元祖」といわれる。史実は曖昧だが、歌舞伎や講談の演目で英雄とされてきた。江戸に渡り、口入屋(くちいれや=職業紹介所)で働き始める。 有名なのは、長兵衛率いる庶民階級の「町奴(やっこ)」と、水野十郎左衛門率いる、武士階級の “不良グループ” 「旗本奴」の対決。長兵衛は、横暴が目に余る水野の屋敷へと潔く単身赴くも、無礼者として斬り殺されてしまう――。 義侠心あふれるヒーローとして描かれ、多数の浮世絵が残されている。 写真・アフロ
15/18

●【沖縄】「不死身のスター」/又吉世喜(せいき・1933~1975年) 戦後、空手道場門下生を土台とする「那覇派」300人の頭目となった。コザ(現・沖縄市)を拠点とするコザ派との抗争で全治5カ月の怪我を負い、退院後には九州ヤクザに命を狙われるも九死に一生を得る。 これにより「不死身のスター」の異名がつけられるが、本土復帰を控えた1970年、本土ヤクザから沖縄を守るため、コザ派のドンだった新城喜史と和睦を結び、沖縄連合旭琉会を結成する。因縁を水に流す懐ろの深さゆえか、葬儀には500人以上が訪れたという。 写真・『完全保存版-日本のヤクザ120人と昭和裏面史』(宝島社)
16/18

●【沖縄】「ミンタミー」/新城喜史(1929~1974年) 沖縄の方言で「目玉」を指す異名がついた新城。由来は、その目でにらまれた者は思わず立ちすくんでしまうことから。「爪の先まで沖縄ヤクザ」と評されるほど、気性が激しかった。 コザ派の頭目を務め、コザ派の後身・山原派の頭領になるも、1970年、那覇派と大同団結し、那覇派のドン・又吉世喜とともに沖縄連合旭琉会の理事長に就任する。1974年、ナイトクラブで待ち伏せされ、4発の銃弾が頭を直撃、即死した。 写真・『完全保存版-日本のヤクザ120人と昭和裏面史』(宝島社)
17/18

●【沖縄】沖縄ヤクザ界を統一した男/富永清(1946~2019年) 24歳にして、新城喜史のもと、本土から進出を狙う山口組側との交渉を命ぜられた “智将” としても知られる。1970年に結成された、沖縄連合旭琉会(後の旭琉会)も、組織内で争いが絶えず、抗争が頻発していた。 1990年、三代目旭琉会が分裂し、富永が率いる沖縄旭琉会が発足。以降20年ものあいだ “冷戦状態” が続いた。2011年、分裂から21年を経て、沖縄旭琉会が旭琉会を吸収合併する形で22団体約300人を一本化した。ここに、沖縄ヤクザ界が再統一され、旭琉會が誕生した。
18/18
新着画像
-
【批判必至!】岸田前首相「政治資金パーティー」を決行…事務所が答えた “国会議論どこ吹く風” な「言い分」とは
社会・政治 | 2025.04.10
-
【高額転売も】中島健人、日大入学式にサプライズ登場も“記念品”が「メルカリ大量出品」でファン激怒
社会・政治 | 2025.04.10
-
大久保公園から“立ちんぼ”女性が消えた! 風俗店への“復帰”の一方で“残党”による美人局が横行
社会・政治 | 2025.04.10
-
【ミャンマー大地震】タイ駐在員が語る地震余波への恐怖“安全宣言”発表に疑問符、日本のゼネコンビルに寄せられる絶賛
社会・政治 | 2025.04.07
-
今井絵理子、女性秘書2人への「パワハラ疑惑」報道で窮地…“パリ研修騒動” くすぶるなか党内からも批判の声
社会・政治 | 2025.04.03
今、あなたにおすすめの記事
おすすめ画像
- 1
「普通の運動を恐喝・強要と」無罪勝ち取った「関西生コン事件」労組執行委員長が明かす恐るべき“組合つぶし”の実態
- 2
なべおさみ、吉本退社は「安倍晋三元首相」「大﨑洋元会長」恩人の喪失が理由だった!85歳での“新天地”を後押しした「亡き妻」の言葉
- 3
清乃あさ姫、4月ドラマ『なんで私が神説教』で広瀬アリスを困らせる “超問題児” を熱演「SNSで叩かれたら勲章です!」
- 4
【賛否を呼んだ“プリン髪”】秋葉原にベッキー出現!ツーショットを希望するファンが大行列
- 5
【甘辛スタジャン姿】松岡茉優、100人以上集結のイベントに!有岡大貴と結婚後は“仕事セーブ”の現在
- 6
【独自写真】バカリズム、大成功ドラマの打ち上げで「ご満悦」脚本家の評価うなぎ登りで争奪戦スタート
- 7
佐久間みなみアナ、ヒロド歩美アナ、NHK・吉岡真央アナも…ドジャース開幕戦、各局エース女子アナの白熱取材合戦【写真多数】
- 8
西島秀俊は子連れで観戦、泉里香はカブス応援、モー娘。乃木坂アイドルも…ドジャース開幕戦、東京ドームに押し寄せた芸能人【写真多数】
- 9
芳根京子、バッティングセンターで “デッドボール” 奮闘ロケ姿! 立て続けにドラマ主演 “地味顔” 女優がついに開花
- 10
【地下鉄サリン事件30年】公安調査庁が答えた後継団体の“現在”「いまも殺人を正当化」「異常な緊張感のなか立入検査」