「日々の仕事を一日一日、きちっとやっていく」
8月2日、報道陣から進退を問われた兵庫県の斎藤元彦知事(46)は、変わらずこう話した。これは真面目な性格ゆえなのか、いっさい “自覚” がないからなのか。
7月7日に自死した元西播磨県民局長が残した「告発文書」の騒動が大きく報じられるようになって、2週間以上がたった。
「当初は自治体首長に対する “おねだり” や贈答品の受け取りがクローズアップされましたが、告発文書内で指摘された、2023年11月のプロ野球優勝パレードの経費不正に関与させられた元課長の自死が判明すると、パワハラ疑惑に対して、斎藤知事への批判が強まりました」(地方紙記者)
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それでも続投を明言する斎藤知事の “心の拠りどころ” は、亡き祖父の存在なのかもしれない。神戸市内の庶民的な下町に住む高齢男性は、かつて斎藤知事の一家と近所づき合いをしていたという。この男性が話す。
「一家は両親と元彦くん、そこまで年が離れていない弟の4人家族でした。その当時は、普通のこぢんまりとした家だったんですが、母方のお爺さんがケミカルシューズ製造の大きな会社の社長だというのは、有名な話でしたよ」
斎藤知事の祖父は、日本ケミカルシューズ工業組合の理事長も務めた地元産業界の大物だった。祖父の直系親族らは、ケミカルシューズ製造から離れたが、現在もゴルフ場などを経営している。
「お爺さんが非常に元彦くんをかわいがっていたのは間違いない。中学から県外の私学に通わせたのも、お爺さんの意向で、学費を出してもらったからですよ。
もともと、お爺さんは元兵庫県知事の金井元彦さんと交流があったし、元彦くんを県知事にするため、英才教育に力を入れていたように思いますね」(同)
祖父の会社の監査役に斎藤知事の父親が就任していた時期があり、両親も恩恵を受けたのだろう。
兵庫県知事選に出馬した際、斎藤知事が「住所」とした現在の実家は “庶民的な下町” の家ではなく、斎藤知事が中学入学後に建てられた市内の高台にある新興住宅地の豪邸になっていた。
愛媛県の全寮制難関校、愛光中学・高校に通った元彦少年。そして1年浪人の末、東京大学に入学し、卒業後は総務省の官僚になる。
長らく地元を離れていたが、突然、小学校の同級生を訪ねることが何度かあったという。同級生の一人がこう振り返る。
「昔から、なんでもできる秀才でしたよ。長く会ってなかったのに、20代のころ、いきなり一人で家を訪ねてきたんです。話を聞くと、東大行って官僚になったと言うので、素直に思わず『すごいなぁ!』と口にしてしまいました」
また、別の同級生の父親もこんなことを覚えていた。
「(阪神・淡路大)震災から2~3年後でした。顔見知りだった息子の知人と2人で突然、うちに来たんです。斎藤くんとはあまりつき合いがなかったですし、『長く地元を離れてたのに、何しに来たんやろ』と思いました。
震災のお見舞いにしては時間がたっていたしね。それで近況を聞いたら『東大に通っています』と話すから、ビックリしました」
つながりが薄かった故郷を突然訪ねたのは、自身の立身出世を自慢したかったのか。“無自覚のエリート気取り” が、前代未聞のパワハラを引き起こしたのか――。
( SmartFLASH )