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【岩手県山火事ルポ】2度めの自宅喪失に怯える住人、中学校では卒業式の開催も危惧…避難者たちを襲う “寄るべない” 絶望
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赤々と燃える大船渡の山。手前は支援に駆けつけた自衛隊の車両(写真・保坂駱駝)
2月26日に岩手県大船渡市で発生した小さな炎は、広大な山林や民家を巻き込む猛炎へと変貌した。
「赤崎町の住民から通報がはいったことで、山火事の発生が発覚しました。その炎は止まることを知らず、平成以降、最大規模の1200ヘクタールを焼失しています。2月28日時点で、約1750世帯、約4200人に避難指示が出されています」(社会部記者)
避難所のひとつとなっている、大船渡市の文化会館・市立図書館「リアスホール」では、青色の簡易テントが所狭しと並んでおり、避難した高齢者たちが肩を寄せあっていた。250名の避難した住人のなかには小学校の体操着を着ている子どもの姿も。友人と笑顔を見せているが、火災当時の様子を聞くと、小学3年生の男の子は悲しげな表情でこう語った。
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「火事を知ったのは、26日に学校が終わって学童にいるとき。煙が少し見えて、なんだが怖くなって泣いてしまいました。ママが迎えに来てくれて、27日の夜からパパも一緒に避難所に来ました。あまり荷物を持っていけないから、ランドセルに少しだけの勉強道具と、ウルトラマンのおもちゃを入れました。友達はゲームを持ってきています。27日から学校が休校になっているけど、僕は図工が好きだから早く行きたいな」
岩手県・大船渡といえば、2011年3月11日に発生した東日本大震災でも甚大な被害を受けている。3年生の男の子の両親は、当時を思い出しながら目を伏せる。
「3.11のとき、わたしの実家は津波で流されてしまいました。しばらく経って、夫と出会い、子どもにも恵まれて大船渡で自宅を建てて、やっと生活が戻ってきたところなのに、まさかこんなことになるなんてね……。
自宅は危険区域なので戻れないんです。様子も見にいけないので、焼けているのか無事なのかすらわからない状態です。ほかの人も、みんな自宅がどうなっているかわからないって。もし焼失していたら、たった10年で2度も自宅を失うことになります。震災の経験があるので、自宅の災害保険はきちんと入っていたのですが、まさか今度は津波じゃなくて火災とは……」(男の子の母親)
2度めの災害にあったのは、民家だけではない。
「東日本大震災のとき、現在グラウンドがある場所の下に校舎があったのですが、津波で消えてしまったんですよ。7年前に津波対策のために高台に再建されて、生徒も戻ってきたのに、次は山火事です。26日には避難所に指定されたのですが、火の手が迫ってきたので現在は解除されています」
こう語るのは、大船渡市立東朋中学校の教職員だ。
「2週間後の卒業式に向けて、本格的な歌の練習が始まったばかりだったのです。3年生にとって、最後の思い出になる予定で、保護者にとっては子どもの成長を見守る場面。当時、わたしも被災を経験しただけに、やるせない思いです。
全校生徒は100人ほど。生徒たちはそれぞれ自宅や親戚の家、避難所に滞在しており、教師で手分けして見回りに行っています。保護者の方にはメールでアンケートを送り、安否確認はもちろん、健康状態や不安な点など生徒の様子を教えてもらっています。いまは無事に卒業式を開けることを願うばかりです」
いち早く消火されるといいのだが……。