社会・政治
立民・逢坂誠二氏、ボブ・ディランにひたすら針を落とした日々「政治姿勢にも少なからず影響」【国会議員の“自分応援”ソング】

ディラン愛を語る立民・逢坂誠二氏(写真・松沢雅彦)
テープがすり切れるほどリピートした曲、厚い“壁”にぶつかったときに聴いた曲――。音楽好き政治家に聞いた「自分のための応援ソング」。立憲民主党・逢坂誠二衆院議員の一曲は、ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』だ。
「ディランを聴くようになったのはラジオの影響。中1でしたかね。僕は北海道のニセコの生まれ育ちで、電離層の関係で夜になると東京の各局が入り、すっかり深夜放送にハマっていました。番組でたびたび紹介されたディランを、いつしか意識するようになったんだと思います。
正直、ディランは当初とっつきにくかった。でも、聴くうちにスルメのように味が染み出してくるんです。岡林信康や井上陽水など日本のフォークも聴いていたけど、みんなどこかディランの影響を受けていることにも気づかされました。
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ただ、当時はレコードプレイヤーが家になくてね。中学で1年上の先輩が家にいないにも関わらず、勝手に上がり込んでは聴いてましたよ(笑)。中2のとき、雑貨屋で売れ残っていたポータブルプレイヤーを手に入れ、初めて買ったのはやはりディランの日本編集のベスト盤。1975年に高校に入って、やっとステレオを購入してからは、ライブ盤の『ローリング・サンダー・レヴュー』を皮切りに、『血の轍』『欲望』とディランのアルバムを揃えていきました。
1978年の春にディランの初来日公演があったんですが、当時の我が家の経済状況では東京まで行けるはずもないし、私はちょうど高3で受験生。ところが、クラスで仲のよかったKくんは東京の大学をいくつか受けに行くついでに、コンサートにも行ったという。心底羨ましかったですね。ですが、気が利くKくんはお土産に公演のパンフレットをくれたんです。
結局、Kくんは東京の大学に進学し、一方の私は第一志望の北大しか受けず、しかも不合格。浪人生活は札幌で送ることになり、予備校の寮にもそのパンフレットを持って行きました。来日公演はその年の夏、2枚組のアルバム『Bob Dylan at Budokan』としてリリースされ、公演の模様を思い浮かべながら、札幌のロック喫茶で何度も聴きました。
2度めの受験が終わって、実家に帰る時にはアルバムを買い、当時はテレビでも合格発表があったんですが、そのときも聴いていました。合格を知った後もひたすら、“転がる石のように”と歌う『ライク・ア・ローリング・ストーン』に針を落としていましたね。
ディランを好きな理由は、変化を恐れないというか、同じことを繰り返すのを嫌い、常に新しいものを創造しているところ。アルバムごとにメッセージが変わり、公演のたびに曲のアレンジを変える。それは自分の政治姿勢にも少なからず影響を与えていますね。そんなディランを象徴する歌が『ライク・ア・ローリング・ストーン』だと思うんです」
おおさかせいじ
北海道ニセコ町出身 北海道大学薬学部卒業 ニセコ町長を経て、2005年に衆院議員に初当選。21年~23年、立憲民主党代表代行
取材/文・鈴木隆祐