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連立離脱で注目の公明・斉藤鉄夫代表の“評判”東日本大震災では“原発のプロ”として菅直人氏も相談に

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記事投稿日:2025.10.11 20:05 最終更新日:2025.10.11 21:35
出典元: SmartFLASH
著者: 『FLASH』編集部
連立離脱で注目の公明・斉藤鉄夫代表の“評判”東日本大震災では“原発のプロ”として菅直人氏も相談に

公明党の斉藤鉄夫代表(写真・JMPA)

 

公明党の最高意思決定機関である10月9日の党中央幹事会で、すでに連立離脱の方針は固まっていました」

 

 こう明かすのは、公明党の支持団体である創価学会の地方幹部だ。この地方幹部は10月8日の本誌記事で「ここまで足蹴にされて、黙っているわけにはいられない」と、公明党の連立離脱を示唆していたのが、10日、それが現実になった。大手紙の政治部記者が語る。

 

「公明党の連立離脱が現実味を帯びてきたころから、自民党内も大混乱でした。党本部に来ては、内閣人事などを得意げに吹聴していたある旧安倍派議員も、記者の前に姿を見せなくなっていました。究極の打開策として、石破茂首相に退陣を撤回してもらい、通常国会で補正予算までを仕上げて解散する“総理総裁分離案”まで検討されたほどです」

 

 26年にわたる自公体制に終止符を打った、公明党の斉藤鉄夫代表とはいかなる人物なのか。前出の地方幹部は、「公明党のよいところを集めた“聖人”だ」と絶賛する。

 

「創価学会二世、三世がほとんどになった公明党議員には珍しい、友人に誘われて自ら学会に入ったという経歴です。高校通学のために独り暮らしをしていたころに入会したそうです。東京工業大学理学部に進学し、大学院で博士号も取得しています。就職先の清水建設では研究所に勤務し、宇宙開発や原子力関連の研究にも携わっていました。

 

 2011年の東日本大震災では、当時の菅直人首相から、毎日“原発のプロ”として携帯電話で、福島第一、第二原子力発電所の事故対応について相談を受けており、担当相の設置が決まった直後には、野党議員でありながら最有力候補として名前があがっていました」

 

 衆議院議員としては、1993年に公明党から旧広島1区で初当選し、1994年に公明党分党では新進党に所属した。新進党では、自民党の高市早苗総裁、立憲民主党の野田佳彦代表らとともに結党メンバーになっている。また清水建設時代、労働組合の副委員長を務めたことが縁で、現在の国民民主党にも旧知の議員が多いという。

 

 しかし、公明党と自民党との関係は、このところあまりよくなかったともされる。

 

「落選によって辞任した前代表の石井啓一さんの時代から、公明党は連立離脱の機会をうかがっていました。実際、安倍内閣のころからの、相次ぐ『政治とカネ』の問題に、支持者への説明がしにくい状態になっていたんです。創価学会員の政治活動のほとんどは、小選挙区で自民党公認候補へ投票を呼びかけることなんです。前々代表の山口那津男さんでいったん“区切り”という感じだったのが、菅義偉(よしひで)さん、岸田文雄さん、石破茂さんといった、公明党と親和性が高い自民党総裁の政権が続いたことで“延長”になっただけのことだったんです」(同前)

 

 齋藤代表がその“区切り”を決断したことで、日本の政局が大きく動いている。

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