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「有罪率99%」の秘密…かつては裁判官と検察官の癒着も
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2018.04.01 11:00 最終更新日:2018.04.01 13:04
検察はどれくらいの人を起訴しているのか。平成29年度『犯罪白書』によれば、検察官の公訴提起により裁判所が処理した総件数32万488件のうち、無罪が確定したのは104件で、パーセンテージにすると0.03%という驚異的な数字になる。1万人に3人である。
20年前の平成8年度の統計を見てみると、起訴総数107万3227件のうち無罪は45件である。計算すると、0.004%となる。さらに、明治後期からの統計を紐解くと平成までの間、無罪判決率は一貫して下がっている。
要するに、事件の半分も検察は起訴しないが、起訴するとほぼ100%の確率で有罪となる。この数字ゆえに、日本の検察は「精密司法」と呼ばれる。
では、なぜここまで検察の勝率は高いのか。誰もが思うこの疑問を取材したアメリカ人研究者がいた。その調査結果をまとめた、デイビッド・T・ジョンソン『アメリカ人のみた日本の検察制度』は興味深い。
ジョンソンは、「なぜ他の国と制度が大きく違わないのに、日本の裁判での有罪率(=検察官の勝率)が高いのか」という疑問を抱き、実際に検察庁を取材した。当初、検察官たちは好意的だったが、途中でジョンソンがある事実に気づくと取材に非協力的になった。
その事実とは、日本の検察は異様なまでに自白に拘るということだ。被疑者の自白に従って証拠を集めれば、裁判で有罪にできるに決まっている。
だから、日本の検察官はあの手この手で自白を引き出す手練手管に長けており、有罪率が高いのだという事実だ。アメリカなどは日本と違い人種問題が深刻なので、検察官が被疑者と信頼関係を築いて自白を引き出すなど、至難の業だろう。
だが、自白に頼るということは、検察官が事前に作り上げた「ストーリー」に当てはめるという危険性もある。無実の人間を犯罪者にしてしまう冤罪の危険性だ。
もちろん、そのストーリーが誤りであったとしても、裁判官がそれを見抜ければ冤罪は防げる。だが、裁判員制度を導入する際、検察官の起訴状通りの判決文を書いた裁判官が問題になったほどだ。
要するに、裁判官はまじめに裁判をしているのかという批判である。まともに事件と向き合っていれば、ここまでの高い有罪率になるはずがない。
むしろ、裁判官は「検察官が起訴したということは、有罪なのではないか」と決めてかかって裁判をしているのではないか、との声もある。
裁判官が検察官の起訴状を頭から信じるのであれば、それは文明国の刑事裁判ではない。
逆に、検察官が優秀であり、絶対に間違いのない犯罪者(と思われる被疑者)のみを起訴していたとしよう。ということは、言い換えれば検察官は絶対に勝てる事件のみを起訴していることになる。
そして、少しでも勝ち目がなければ凶悪犯かもしれない被疑者であっても不起訴にし、事件の真犯人を野に放っているということになる。
裁判官の怠慢と検察官の卑怯。では、その両者が結びついていたとしたら?
実際、裁判官(判事)と検察官の癒着を指摘する声もある。ここでは一事だけあげておく。なんと、平成24年に廃止されるまで、「判検交流」と称される判事と検事の人事交流が存在したのだ。司法権の独立など、どこ吹く風の制度である。
裁判はいつ誰が当事者になるかわからない。だから、司法権は最も身近な権力なのだ。そして、権力が誤った場合、あなたが無実でも犯罪者にされることもあり得るのだ。
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以上、倉山満氏の新刊『検察庁の近現代史』より引用しました。検察とはいったいどんな組織なのか。近代司法制度が始まった明治時代から、多くの不祥事で揺れる現在までの検察庁の軌跡を概観します。