立憲民主党・横沢高徳参議院議員(写真・梅基展央)
「まさか自分が政治の世界にいるなんて夢にも思っていませんでした」
最終学歴が高校卒業である、日本維新の会の遠藤敬氏が首相補佐官になったことで注目された「高卒国会議員」。横沢氏も「高卒国会議員」のひとりだが、その経歴は最終学歴以外も異色だ。
岩手県立盛岡工業高校機械科を卒業後、スズキのテストライダーを経てモトクロス国際A級ライセンスを取得し、全日本モトクロス選手権などに参戦。レーサーとして活躍してきた。
「幼いときからオートバイレーサーになるのが夢でしたが、それが実現できたわけです。もともと、実家が自動車整備工場でしたから、レーサーになれなかったらエンジニアや技術系の仕事をしようと思っていました。大学へ行く選択肢は初めからありませんでしたね」
だが、その夢は25歳のある日、突然、絶たれる。練習中の事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となったのだ。
「人生の目標を失った人間は、やっぱり生きる力がわいてこないというか、このとき、自分の弱さを思い知らされました。そんななかで、まわりの人やいろいろな方たちの支えで新たに生きる目的をみつけたときから、少しずつですが、生きる力がわいてきたんです」
新しい人生の目的は、チェアスキーの選手になることだった。チェアスキーは下肢に障害のあるスキーヤーのために、座席にスキー板が固定されたスキーを使用する。すぐに国内の各大会で上位入賞を果たすようになり、2010年のバンクーバーパラリンピックでアルペンスキーの日本代表となり、大回転で21位の成績を収めた。
日本代表選手としてプレーした後、2019年7月の参院選に岩手選挙区から無所属で出馬し、初当選。その後、国民民主党を経て2020年9月、立憲民主党に入党して現在に至る。「夢にも思っていなかった」政治の道を選んだ理由は何か。
「25歳で脊髄を損傷して、車椅子になったことで行動範囲は狭くなりましたが、社会全体を見る視野は逆に広がった気がします。とくに、パラリンピックで海外遠征を経験して、海外と日本を比較すると、海外では障害のある方でもない方でも、ともに社会に参加できる『共生』の環境が進んでいると感じました。そして、いざ日本に帰って来ると、まだまだ社会を変えて行かなければいけないという思いが強くなっていったんです。
それまでにも、講演やスポーツなどを通じて『共生』を訴えてきたんですが、それが政治と結びついたのが、6年前の参議院選です。当時、岩手県の達増(たっそ)拓也知事にお会いしたときに、『横沢さんが当事者として経験してきたことを、次の国造りに生かしてみないか』というアドバイスをもらい、『そういう選択肢もあるな』と思ったのも、政治に挑戦するきっかけとなりました」
高卒であること、また障害のあることで苦労したことはないのか。
「高卒ということで苦労したことも、とくにいやな思いをしたこともありません。大学卒の学歴はありませんが、障害も含めて人生すべてが学びの場であり、社会に出てから多くの人生経験を積めたことが、国会議員として非常に役に立っていると感じます。
たしかに、高学歴のエリートといわれる議員は、車の部品でいえば高性能のパーツ。私はいわばエンジンオイルのような、潤滑油のような存在ですが、両方そろっていなければ、うまくかみ合って車は力を発揮しないんです。高卒議員には、そういう潤滑油的な力を発揮する役割があるかもしれません。
それに私は、なかなか経験できないような経験を積んできています。その経験が背中を押してくれるんです。誰よりも現場、生活に近いところの声を国政に届けるのは自分しかできないと思いますし、それが政治家としての基盤、軸になっていると思いますね」
高卒、障害が逆に強みとなっているというのだ。
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