社会・政治
田中角栄生誕100年「直筆の新幹線路線図」を発見!
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2018.05.06 11:00 最終更新日:2018.05.06 11:00
1972年4月、東京・目白の田中邸。当時、通産大臣だった田中角栄は、新潟県新井市(現・妙高市)の陳情団の目の前で、新幹線路線図をすらすらと描いてみせた。
A4版ほどの紙切れには、2015年3月に開業した北陸新幹線にほぼ重なるルートのほか、新潟県中部を横断する2ルート、北アルプスを貫通するルートがあった。
路線図は、現在、妙高市の吉越秀明氏宅で、額縁に入れて飾られている。吉越氏は、かつて本誌の取材にこう答えている。
「市議会議長だった父は7回も8回も目白に陳情に行っていましたが、田中先生はその熱意を認めてくれ、『こことここに通すから』と手早く描いてくれたそうです。北陸新幹線が開通した日は私も見にいきましたが、『田中先生、ありがとうございます』と感謝せずにいられませんでした」
いまも根強い人気が続いている田中角栄・元首相は、この5月4日、生誕100年を迎えた。
政治家・田中角栄の代名詞が『日本列島改造論』だ。新幹線誘致の陳情団が田中邸を訪れた直後、同名の著書が日刊工業新聞社から刊行され、90万部を超えるベストセラーとなった。
当時、通産大臣秘書官として同書を取りまとめたのが、小長啓一氏である。
「ある日、田中さんに呼ばれまして、『自分は代議士1年生のときから国土開発に取り組んできた。通産大臣になって工業面も勉強した。それで、全体像を本にまとめたい』と。
では、どこから出そうかという話になったとき、田中さんは『(朝日や読売など)全国紙から出すと、出せなかったところは反田中になってしまう。だから無難な日刊工業新聞で』と鶴の一声でした」(2015年の本誌取材)
通産省から若手官僚数名と、日刊工業新聞の記者12~13名がチームを作り、一気に執筆した。
「事前に田中さんから1日数時間のレクチャーを4日間受けました。田中さんは、新幹線、高速道路網、港湾整備、農村工業化など国土開発の話を滔々と語られた。
要するに、東京一極集中による過密と過疎の弊害を直さにゃいかんと。
田中さんは要職に就く前の下積み時代、全国を自分の足で見て回っている。それで、『新幹線はここを通すべき』と話すときも説得力があった」(同)
だが、列島改造論は全行政に関わる大構想だけに、通産省だけではとてもまとめきれない。各省の協力がどうしても必要だ。しかし、どこまで協力してくれるかが心配の種だった。
「おそるおそる各省の局長クラスに電話すると、『角さんがやるんだったら全面協力だ』と異議を唱える者が誰もいない。田中さんは若いころから議員立法を何十本も作っていて、その過程で役人が角栄ファンになってしまうんです。
というのも、田中さんは大きな方向を示し、あとは役人に任せて『責任は俺が取る』と言ってくれる。こんな政治家は滅多にいませんからね。
こうした田中ファンの役人が偉くなっていて、『角さんの顔をつぶしちゃいけない』と懸命に動いた」(同)
列島改造論がブームとなり、出版から3週間後に、田中は福田赳夫を破って自民党総裁に就任するのだった。