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紀州のドン・ファン怪死 22歳妻の母親は結婚を知らなかった
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2018.06.06 11:00 最終更新日:2018.06.06 11:00
「紀州のドン・ファン」。好色で有名な中世ヨーロッパの伝説的貴族にちなんだ渾名で呼ばれた、会社経営者の野崎幸助さんが亡くなったのは、5月24日のこと。77歳だった。
野崎さんは、終戦後に焼夷弾の弾殻売りから身を立て、金融業、不動産業などで財を成した。長者番付の常連で、総資産額は50億円といわれていた。
築いた富を惜しげもなく女道楽に使い、4000人の女性に30億円を貢いだ体験を記した著書『紀州のドン・ファン』(講談社)を2016年末に上梓。2018年4月に続編が出たばかりだった。生前は本誌記者にも「100歳でもSEXできる男にならないとあかん」「1時間に3回ぐらいしますよ」と絶倫ぶりを誇っていた。
その野崎さんが、豪邸の2階で、全裸で冷たくなって、妻のSさん(22)に発見されたのだ。2018年2月に3度めの結婚を彼女としてから、わずか3カ月半後のことだった。
「野崎さんの遺体からは、致死量の覚醒剤が検出された。警察は野崎さんが何者かに殺された可能性が高いとみて捜査を進めている」(社会部記者)
通夜、そして告別式でも、詰めかけた報道陣の目を避けるように、斎場から姿を現わしたSさんはサングラスにマスク姿だった。
「夫が亡くなったというのに、Sさんは涙ひとつ流さへん。喪主挨拶は、聞き取れないほどの小さな声で、手元のメモを読み上げただけやった」(葬儀に参列した野崎さんの親族)
22歳で夫に先立たれた彼女は、どんな女性なのか。野崎さんの著書『紀州のドン・ファン 野望篇』には、北海道出身で、身長165センチ、Dカップの元モデルとある。
Sさんの実家近くの住民によると、美人姉妹の妹として有名だった。地元の専門学校を出て、上京。渋谷でスカウトされてモデル事務所に入ったようだ。
そんなSさんが野崎さんと出会ったのは、2017年秋。前掲書によると、羽田空港で転んだ野崎さんを、Sさんが助けた縁で交際がスタート。プロポーズの言葉は「キミの人生をピンク色に染め上げたい。ボクの最後の女性になってくれませんか?」だったという。
だが、Sさんの実家近くの住民はこう話す。
「お母さんから、『結婚のことは知らなかった』と聞きました。連絡もつかないと心配していましたね」
プロポーズについても「『財産の半分を渡す』と言って口説いたと、野崎社長の部下から聞きました」(近隣住民)
前掲書によると、野崎さんは結婚するまでSさんとの交際を周囲の誰にも明かしていなかったという。だが、捜査関係者が声をひそめて話す。
「関係者への事情聴取で明らかになったのだが、Sさんは夫に『離婚したい』と切り出していた。野崎さんは必死に引き止め、金銭的な条件を含めた念書を交わし、Sさんは思いとどまった」
結婚生活は、破綻していた。野崎さんが突然の死を遂げたいま、Sさんは連日の事情聴取を受け、周囲の目は冷たい。針のむしろに座る心地だろう。
(週刊FLASH 2018年6月19日号)