簗和生農水相(写真・長谷川 新)
「彼を大臣に指名した時点で、間違っていたんですよ」
これまで「道路予算カット発言」「シャトルバス無料送迎問題」といった疑惑が報じられてきた簗(やな)和生農林水産相。10月14日、「国会審議に迷惑をこれ以上かけるわけにはいかない」と、高市早苗首相に辞表を提出した。
このニュースが伝わると、簗氏の選挙区である栃木3区の有権者は、冒頭のように吐き捨てた。政治担当記者がこう話す。
「高市首相も簗氏も『道路予算カット発言は、謝罪と釈明、撤回をすれば逃げ切れる』と思っていたようです。国土交通省の説明でも、簗氏が予算配分に影響力を行使した事実はなかったということですし、新しい事実が出てくる可能性も低かったからです。そのため高市首相も、『仕事で返せと言いました』と、当初は簗氏の続投を示唆していました。しかし『シャトルバス』で風向きが変わりました。
簗氏は予算委員会の答弁で、支出の正当性を『栃木県の選挙管理委員会に確認した』としましたが、野党議員があらためて選管に問い合わせると『簗氏の事務所から問い合わせを受けた事実は確認できない』『問い合わせを受けたら、公選法違反の恐れがあると回答する』と言われたとのことでした。すると簗氏は『(問い合わせをしたのは)政治資金収支報告書への計上方法だった可能性がある』と、答弁を修正しました。
これが決定打となり、高市首相は『更迭やむなし』に舵を切ったということです」
疑惑発覚以降、簗氏の周辺を取材すると、簗氏を近くで応援してきた県議、市議、地元有力者ほど、彼から離反していたことに気がつく。
元栃木県議の三森文徳氏は、簗氏が初出馬した2012年から応援してきたが、3回めの選挙が終わると、陣営から離れた。
「渡辺喜美さんが『みんなの党』を結党したため、栃木3区は自民党候補が空席になりました。そのときに手を挙げたのが、簗さんでした。簗さんは東京出身ですから、いわゆる落下傘候補です。
喜美さんの父・渡辺美智雄元副総理は中央政界の実力者ですから、栃木県は“渡辺王国”とも呼ばれていました。そこに地盤・看板がない簗さんが立候補したのですから、我々、自民党員は必死に応援しました。結果として、小選挙区では渡辺さんに負けましたが、比例北関東ブロックで復活当選を果たしたんです」(三森氏)
陣営の喜ぶ顔が目に浮かぶが、三森氏はほどなくして、簗氏の「人間性」に疑問を抱くようになったという。それは、秘書への接し方がきっかけだった。
「支持者のお宅などを訪問したとき、運転していた秘書が車内に残っていたんです。ここは田舎ですから、ご年配の方などは、そうした秘書を見ると『家に上がってお茶でも』と声をかけるんです。
しかし簗さんは『秘書はいいんです』とピシャリと言って、絶対に同席させませんでした。気持ちのどこかで『秘書は俺が雇っている使用人』という感覚があったのでしょうか。食事の席にも同席させませんでしたね」(三森氏)
一時期、簗氏の事務所で秘書をしていた男性の親族は、彼を「敵と味方の区別が激しい性格」と評する。
「初めて当選した直後、県連幹部を務める県議のところにあいさつに行った簗さんは、そこで栃木県の現状や課題をレクチャーされたそうです。
その帰りの車中で、運転していた秘書に『田舎の県議に言われる筋合いはない』と怒っていたというんです。簗さんは、自分に対して意見や注意をいう人が大嫌いで、排除してしまうことがあるようです」
「道路予算カット発言」について、高市首相も「地元で自分を大きく見せようとした発言」としているが、その一端が垣間見える証言があった。
「簗さんは小さいころから野球をやっていて、甲子園を目指していたという話を聞きました。その後は『メジャーリーガーになる前のクラスにもいた』ということですが、それって、3A(トリプルエー)のことですよね。
だとしたら有名選手ですから、ニュースになってもいいと思うのですが、聞いたことはないですね。もし野球の世界で有名だったら、選挙のときもそちら関係の応援が多く来たと思うのですが、記憶には残っていません。
地元の野球大会の始球式で投げたことがあるそうですが、それを見た人の感想は『下手だった』でした。ちなみに、ボウリング大会でも、いきなりガターだったそうです」(地元有権者)
そんな簗氏だが、三森氏は「根性はあります。それは認める」と語る。
「地域の運動会、村の集会場での小さな集まりなど、呼ばれてもいないのに来ますよ。とにかくまめで、フットワークが軽い。それと、真冬で気温が氷点下になる駅前で、早朝から晩まで立って頭を下げている。その根性はすごいと思いましたね。
簗氏はよく『大臣になりたい』と語っていたのですが、上昇志向が強い性格なのでしょう。そのため、辻立ちも『国会議員として名を成し、大臣になるためにやっているのだろう』と見る住民もいますが、いずれにしても、その姿を見たお年寄りは『かわいそうだから』『がんばっているから』と票を入れているようです」
大臣になる夢はかなったが、身から出た錆というべきか、自民党が2012年に政権復帰して以降、最短となるわずか28日で辞職することになった。
辞任の日、栃木県大田原市内にある簗氏の事務所を訪ねると、近隣住民が「いつもは、誰かいるんですけど」と語る室内に、明かりはなく、カーテンも閉められたままだった。
一部からは、議員辞職を求める声まで出ているという簗氏。彼をフォローする声は、どこかから聞こえてくるだろうか。
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