
プーチン大統領(写真・共同通信)
キリル文字で「FSB」と書かれたジャケットを着た黒ずくめの男たちが、ホテルの部屋に猛ダッシュで突入した。床に押さえ込まれた男性は抵抗する様子もなく、手錠をガチャリとかけられた——。
10月13日、ロシア連邦保安局(FSB)は、北海道新聞ユジノサハリンスク支局の日本人男性記者をスパイ容疑で拘束したと発表した。
「FSBは『ロシアの安全保障に敵対する目的で、日本の情報機関の指示に基づき、国の防衛能力に関する情報を収集・保管し、伝達していたことが判明した』と発表しました。具体的には、ウクライナ侵攻をめぐり、サハリン州での兵士や志願兵の人数に関する情報を収集・保管していたと主張しています。突入し、拘束する瞬間を収めた映像も公開されました。
男性記者はロシアを出国する前日に拘束され、モスクワのレフォルトボ拘置所に移送されたと現地メディアが報じています。一連の容疑で有罪判決を受けると、最長で禁錮20年が科される可能性があります」(国際ジャーナリスト)
北海道新聞は、編集局長名義で抗議する記事を発表している。同紙は「ロシアに隣接する地域の地元紙」として、1992年から北方領土を事実上管轄するサハリン州の州都・ユジノサハリンスクに記者を常駐させてきたとし、「北海道新聞は、政府から独立した報道機関です。政府の指示に基づいて取材や情報収集をおこなうことはありません」と断言。加えて、ロシアの記者査証(ビザ)を取得して活動していたとしている。
「高市早苗首相も、10月15日に『そのような事実はない』と記者のスパイ疑惑を完全に否定しました。ロシアに抗議したうえで、解放に向けて尽力すると宣言しています。
たとえロシア側が主張する、兵士や志願兵の人数について取材をしていたということが事実だとしても、これらは地域住民の暮らしの変化を取材するなかで当然、取材対象となる事柄です。ましてや日本政府の意向を受けて取材をするなど、多くの日本人からすると荒唐無稽でしょう。FSBは旧ソ連のKGB(国家保安委員会)の後継組織のひとつ。スパイ活動を警戒するのは当然ですが、どのような意図で拘束したのか、まだはっきりとしていません」(同前)
ウクライナ侵攻が始まって以来、ロシアは西側メディアへの圧力を強めている。こうした“難癖”をつけて拘束する事例は過去にもあったようだ。防衛研究所上席研究官の高橋杉雄氏はこう解説する。
「過去の事例として、2024年に捕まったスイスのNGOに勤務するフランス人のケースがあります。ロシアでは『外国代理人登録』をせずに一定の軍事関連情報の収集をしてはいけないことになっており、そのフランス人は登録義務を知らなかったと説明しています。似た事例と言えるかもしれません。
そのフランス人の場合は、約1年半拘束されて有罪判決も出ましたが、プーチン大統領のの恩赦を受け、身柄交換で解放されました」
さらに多いケースは、多国間での人質・囚人交換というシナリオだ。
「ウクライナ戦争の前後から、西側の人間がロシアに拘束され、人質・囚人交換で解決された例は5件以上あります。
ビクトル・ブートという武器商人の場合は、アメリカの女子バスケットボール選手でモスクワの空港で大麻オイル入り電子タバコ用カートリッジが見つかった容疑で拘束されたブリトニー・グライナー氏と交換されています。また、1対1ではなく、多国間で交換している事例もあります。例えば、ワジム・クラシコフというドイツで殺人罪により終身刑を受けていた人物が恩赦でロシアに引き渡されたケースでは、ロシアとベラルーシに拘束されていた米国人記者やロシアの反体制派など16人とアメリカ、ドイツ、ノルウェー、スロベニア、ポーランドで捕まっていたロシア側8人が『16対8』の交換でした。物理的な交換はトルコで行われています」(高橋氏)
現在も複数の欧米の人々が拘束されており、同様の展開はあり得るという。
「スパイ罪で有罪判決を受け、現在もロシアに収監されている米国人やルーマニア人、リトアニア人などがいます。一方、西側で拘束・収監されているロシア人もいます。他国の力も必要になりますが、1対1ではなく多国間での身柄交換になる可能性は、ひとつのシナリオとして考えられますね」(高橋氏)
一方、作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏は、ロシア内部の事情をこう分析する。
「ロシア政府全体を一枚岩としてとらえてはいけません。大統領府、外務省、FSB、そしてロシア軍参謀本部情報総局(GRU)などは、それぞれ異なる組織的利害を持っています。
今回、まず男性記者を拘束したのはFSBですから、事件を主導しているのはFSBだと考えられます。FSBだけに留まるのであれば、外交的配慮をしたうえで実務者レベルの協議で解決するかもしれません。
しかし厄介なのは、今回、拘束した理由として、軍事情報や動員兵の人数について触れていることから、GRUが強い関心を示している可能性がある点です。『軍事機密をめぐる問題だ』としてGRUが関与を強めると、単なる司法・外交手続にとどまらず、交渉が極めて泥沼化・複雑化する恐れがあります」(佐藤氏)
いずれにせよ、今後の交渉で大事なのは“政治化しない”ことだという。
「ロシアはいまのところ、日本を米国やヨーロッパ諸国と同レベルの“全面的な敵対関係”だとは位置づけていません。外交・実務レベルの圧力だけを意図したものであれば、まだ交渉の余地があるでしょう。一方、これがエスカレートしてロシア国内の世論を巻き込んだ政治的対立へ移行した場合、解決はより困難になります。
日本側が今回の事件を、ただちにロシア政府による“人質外交”と断定し、双方が、国家の威信にかかわる問題だと認識しあうと、結果的に男性記者の早期帰国が遠のいてしまう可能性があるのです」(佐藤氏)
もちろん、ロシアの一方的な拘束は許されるものではない。ただ、いまは冷静に、粘り強く交渉が求められているのだ。
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