「かつては、国家公務員試験1番から10番までは、みんな旧大蔵省に入ってきたんです」
旧大蔵省時代から30年余も同省の取材を続けるジャーナリスト・歳川隆雄氏が語る。
霞が関の省庁では、「花の〜」と冠がつく、入省年次でくくる黄金期がある。最近の財務省では、「花の昭和54年組」だ。木下康司、香川俊介、田中一穂と3代にわたって次官職を独占。「同期3人次官」は長い歴史でも前例がない。
さらに、「花の昭和41年組」も有名だ。
「昭和41年入省の長野庬士氏、中島義雄氏、武藤敏郎氏、それから岡田康彦氏(国家公務員試験同点1位、司法試験合格)は、同期の連中からも『四羽ガラス』といわれていた。
それが、中島氏、長野氏と大蔵省接待汚職事件に絡んで退官に追い込まれた。長野氏は同期で一番だったんです。竹下登元総理の評価も高かった。だけど、事件に引っかかって、結果として武藤氏が次官の座を射止めたのです」(歳川氏)
キャリア官僚になるための国家公務員試験の申込者数は、2018年度、対前年比で約5%の減。2年連続の減少となった。一方、女性の申込者数は全体の約35%と過去最高を記録している。
大学別の出身者は、2007年度から2017年度の10年間、1位東京大学、2位京都大学、3位早稲田大学で変化がない。
そんななか、2015年度にある「異変」があった。この年、財務省に入省したのは23人。そのトップが東大法学部ではなく九州大学法学部出身だったのだ。歳川氏が、その人物について明かす。
「彼は熊本県水俣市の夜間高校に通っていたのですが、あまりにも成績がいいもんだから、熊本の名門公立高校に転入させられた。そしたら、そこですぐに一番になった。
近年まれに見る逸材ということで、周囲は東大法学部を狙わせようとしたのですが、本人は母子家庭で『母親のもとを離れたくない』として九大の法学部を選んだんです。
そこも首席で卒業したようです。麻生太郎財務大臣から、『すげえ職員が入ってきた』と自慢されたことを覚えています」
頭脳が国を支えてきたのだ。
【財務省の優秀すぎる男たち】
以下は、過去の報道から本誌が抜粋した「複数試験優秀合格者」だ。
●角谷正彦(1958年入省)「“4冠王”だった天才」
→国家公務員試験1位、司法試験1位、外交官試験1位、 東大首席
福田赳夫元首相も国家公務員試験、司法試験、東大の3冠だったといわれるが、この角谷氏がすごいのは、さらに外交官試験もトップ。しかし、次官にはなれず、国税庁長官を務めた。
●斎藤次郎(1959年入省)「10年に一人の次官」
→国家公務員試験1位、司法試験1位
絶頂期の小沢一郎氏とも近く、「国民福祉税構想」の導入などを画策。「10年に一人の大物次官」として知られた。退任後は、東京金融取引所社長、日本郵政の社長などを歴任した。
●中島義雄(1966年入省)「財界でのちに大成功」
→国家公務員試験8位、司法試験合格
次官候補として将来を嘱望されたが、大蔵省接待汚職事件に絡んで財政金融研究所長を最後に退官。京セラの理事や船井電機の顧問、セーラー万年筆の社長など、財界で新たな地位を築いた。
●長野庬士(1966年入省)「“花の昭和41年組”トップ」
→国家公務員試験同点1位、司法試験2位
「花の昭和41年組」といわれた同期入省のなかでもトップだったという。大蔵省接待汚職事件で、証券局長を最後に退官。その後は弁護士に転身、大手弁護士事務所に所属している。
●黒田東彦(1967年入省)「“黒田バズーカ”発射も……」
→国家公務員試験2位、司法試験合格
2003年に財務官を最後に退任。内閣官房参与、アジア開発銀行総裁などを経て、2013年より日本銀行総裁に。アベノミクスを支える金融政策「黒田バズーカ」の評価は分かれるところだ。
●武藤敏郎(1966年入省)「東京五輪の事務方トップ」
→国家公務員試験2位、司法試験合格
大蔵省接待汚職事件で更迭されるも、主計局長から次官に。省庁再編後の初代財務事務次官でもある。日銀副総裁などを経て、2014年に東京五輪組織委員会の事務総長に就任した。
(週刊FLASH 2018年6月19日号)