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安田純平さん奪還作戦の裏側「勝手に交渉する外国人も」

社会・政治 投稿日:2018.10.30 06:00FLASH編集部

安田純平さん奪還作戦の裏側「勝手に交渉する外国人も」

安田さんとご両親、妻・深結さん

 

 10月25日、シリア拘束されていた安田純平さん(44)が、ようやく帰国した。

 

 安田さんには、長年取材で連携してきた“盟友” がいる。ジャーナリストの常岡浩介氏(49)だ。安田さんが2015年6月に拘束されて以来、常岡氏はジャーナリストの仲間とともに、救出のために奔走してきた。

 

 

 安田さんが拘束されていたシリア国内は、「今世紀最大の虐殺が続いている」(常岡氏)という激しい内戦下にある。安田さんは、犯行グループから虐待を受け続けていた。帰国便の中で、日本メディアの取材に、その恐怖を語っている。

 

「2016年からは、ほぼ毎日『解放する』と言われた。その代わり、『これをやったら帰さない』という不可能なことを要求された。高さ1.5メートル、幅1メートルの場所で、24時間、身動きしても、何ひとつ音を立ててもいけないと言われた。それを8カ月間やらされた」(安田さん)

 

 常岡氏らと連携して動いたジャーナリストの高世仁氏はこう話す。

 
「よく生き延びた、頑張った。安田さんは、20日間ご飯を食べられない、80日間もシャワーを浴びられないという過酷な状況を、3年4カ月生き延びた。解放後の彼を見て、眼に力があったし、受け答えもしっかりしていて驚きました」
 

 ジャーナリストの仲間たちは、安田さんの救出のため、世界各地を駆けずり回っていた。犯行グループは当初、シリア北西部を拠点とする過激派組織・ヌスラ戦線(現・シャーム解放委員会)から分派した組織とみられていた。常岡氏が経緯をこう明かす。

 

「シリア取材時にできたチェチェン人の人脈を辿り、ヌスラ戦線に解放の説得を頼もうとしましたが失敗。ですが、ヌスラ内部のウイグル人グループに対して、彼らに通じる中央大講師の水谷尚子先生が働きかけ、一時は解放に近づいた。

 

 水谷先生のルートは外務省にもあてにされていたのですが、結局うまくいかなかった。外務省や家族の意向を無視し、勝手に犯行グループと身代金の話をしてしまう、現地の自称コンサルタントなどが現われたためでした」

 

 だが当初から、生還の可能性が絶望的だったわけではないようだ。中央大講師の水谷氏はこう解説する。

 

「安田さんを最初に拘束したのは、ヌスラ戦線と物資の取引をする地元のマフィアでした。しかし2カ月ほどたったころ、マフィアたちはヌスラ側に拘束されます。安田さんの身柄は、彼らと一緒に渡ってしまったのです。

 

 ただ、2015年のうちから、『安田さんの名前が、カタールの救援リストに載っている』という情報を、有力な情報筋から得ていました」

 
 急転直下、事態が動いたのは、10月17日だった。

 

「この日、首相官邸に『安田さんの解放は近い』との情報がもたらされた。発表が10月24日になったのは、国会召集日に合わせたという見方がある」(政治部デスク)

 

 さらに安田さんの解放にあたり、カタール政府が身代金を支払ったという報道がある。記者暗殺疑惑をめぐり、カタールと対立しているサウジアラビアに世界中から批判が集まる昨今、民主的な国家であることをアピールしたいカタールにとっては、 “絶好の機会” だったわけだ。

 

 ある官邸担当記者は、こう声を潜めて明かす。

 

「解放後、官邸内では、カタールに対して後年、ОDAを上積みして穴埋めをする、なんて話を聞きます」

 

写真提供・深結さん

 

(週刊FLASH 2018年11月13日号)

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