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復讐に次ぐ復讐…悲劇の朝鮮戦争、年内の終戦宣言は可能か?

社会・政治 投稿日:2018.11.07 11:00FLASH編集部

復讐に次ぐ復讐…悲劇の朝鮮戦争、年内の終戦宣言は可能か?

写真・時事通信

 

 

 10月末、韓国統一部の趙明均長官は、北朝鮮の金正恩国務委員長のソウル訪問と、朝鮮戦争終戦宣言を年内に実現させたいと答えた。

 

 1950年、北朝鮮軍が突如、南進して始まった朝鮮戦争は、いまも休戦状態のまま。そのため、いまだ韓国には「国連軍司令部」がある。

 

 

「北朝鮮は冷戦の被害者ではない。加害者なんです。金日成が『南侵』しなければ、100万から200万人もの北朝鮮人民が犠牲になることもなかった。

 

 北朝鮮が奇襲を仕掛けたのはもはや公然の史実ですが、北朝鮮は『南朝鮮と米国の侵略を防ぎ勝利した』と噓をつき続けるしかないんです」(東京通信大学・重村智計教授)

 

 一方、東京新聞編集委員の五味洋治氏はこう解説する。

 

「朝鮮戦争開戦直後、国連で『北朝鮮による韓国への武力攻撃を撃退し、この地域における国際の平和と安全を回復する』という安保理決議が採択されている。

 

 米国は北朝鮮に『国連軍』として応戦できる権利をいまだ持っているんです。北朝鮮は、国連軍と平和協定を結ぶと、金日成が無茶な戦争を仕掛けたと認めることになる。だから米国と1対1で平和協定を結ぼうとしているのです」

 

 はたして、年内に朝鮮戦争の終戦宣言が出せるのか?
 ここで、朝鮮戦争についてもう一度振り返ってみよう。

 

 1950年6月25日の早朝4時40分。北朝鮮の人民軍は一気に38度線を超えて、南進を開始した。

 

 現在、山口県下関市にある東亜大学で教鞭をとる崔吉城教授(78)は、38度線のすぐ近くの韓国・京畿道楊州出身。10歳のとき、朝鮮戦争開戦の号砲を聞いた。

 

「母に起こされて朝食を食べていると、空を裂くような爆音が聞こえてきた。『北の南進』と直感し、姉と2人で南へと避難を始めたが、一度も北朝鮮兵を見ることはなかった。自分たちよりはるか南を、北朝鮮軍は猛スピードで進撃していたのです」

 

 金日成は準備万端だった。翌日、放送で「李承晩傀儡政府軍による侵略に対する反撃」と訴え、開戦からたった3日でソウルを陥落させた。8月には、釜山周辺を残してほぼ朝鮮半島全土を制圧。金日成は「武力による朝鮮半島統一」まであと一歩に迫った。

 

「人民軍がやってくると、隣村で韓国軍将校の家族8人全員が惨殺された。でも9月中旬のある夜、40キロ離れたソウル方面の空が曙のように明るくなるのを父が見たんです。

 

 これがマッカーサー率いる国連軍による、仁川上陸作戦でした。9月28日には国連軍にソウルが奪還され、私たちの村は北朝鮮の支配から解放されたのです」(崔教授)

 

 だが、待っていたのは凄惨な復讐劇だった。

 

「共産主義者の大学生と恋に落ちた村の女性は、韓国軍の支配が戻ると、韓国軍に集団で性的暴行をされた。人民軍に家族8人を殺された韓国軍将校が激怒し、今度は北朝鮮への協力者の摘発が始まったのです。

 

 私はソリで遊びながら、協力者が殺されるのを眺めていた。不思議と怖さはなかった。南北統一のための戦争のはずが、世界でもっとも緊張の強い、同じ民族間の敵対関係を生み出してしまったのです」(同前)

 

 中朝国境の鴨緑江まで追いつめられた北朝鮮人民軍を救ったのは、中国だった。

 

 10月25日、中国人民志願軍が参戦。前線だけで20万人を投入する。人海戦術を支えたのが、中国国内に残っていた日本人だった。1944年に旧満州へ渡り、終戦後も日本に帰れず、八路軍(1947年から人民解放軍)の砲兵となった山口盈文(89)が振り返る。

 

「国共内戦で戦った後でした。中国は朝鮮戦争に参戦しないという建前上、『人民志願軍』という名称だったが、命令ですよ。こっちは慣れっこで、『南朝鮮と米軍が攻めてきたから、朝鮮に行け』と説明され、夜にトラックで鴨緑江を渡ったんです」

 

 鴨緑江を渡ってすぐの咸鏡北道茂山地区。鉄鉱石の産地を守る砲兵部隊の隊長が、山口氏に与えられた任務だった。

 

「制空権は米軍が完全に握っていて、F-86(米軍のジェット戦闘機)に歯が立たなかった。こっちの武器はソ連製の高射砲。射程は1200キロだから、届かない。いくら撃っても当たらないんです。

 

 そしてF-86は急降下して爆弾を落としてくる。日本の伊丹空港から飛んできていて、ガソリンが切れるから滞空時間は15分ほど。しだいに応戦せず、ただ防空壕で耐えるだけになっていった。部下が35人いて、彼らの命を守ることが第一でした」(山口氏)

 

 唯一の救いは、中国から飛んでくるミグ戦闘機。ソ連のパイロットが、人民志願軍の軍服を着て、参戦していた。

 

「私が参戦して1カ月で『朝鮮戦争に日本人が参加しているのはまずい』となって、彭徳懐司令官の命令で、中国に帰国させられた。私は命が助かったけど、部下の中国人は全員戦死しましたよ。金日成の野心が起こした戦争の犠牲になったんです」(同前)

 

 いまも北朝鮮は「朝鮮人民軍単独で戦って、韓国と米国に勝利した」ということを建前にしている。
 前出の重村氏が話す。

 

「中国人犠牲者を慰霊する墓碑は、平壌の公園のすみにポツンとあるだけ。北朝鮮国内で、中国に感謝する気持ちはほとんどない」

 

 朝鮮戦争の終戦宣言をするには、北朝鮮と韓国の意思だけではできない。国連軍との関係、中国との関係など、考えるべきことはたくさんある。いずれにせよ、金日成の噓が、いまだに影を落としていることだけは確かなのだ。
(週刊FLASH 2018年9月18日号)

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