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元ソフトバンク社畜が語る「2人の鬼上司」孫正義が激高して…

社会・政治 投稿日:2019.03.10 11:00FLASH編集部

■「偉くなったら机をバンバン叩くもの」と思っていた

 

 デジ社でも当然、経営企画部門に配属され、またA氏の下で働くことに。デジ社では、スカパー社時代を超えるハードワークで、月末月初は会社に連泊することに。

 

「床に寝るとダニに刺されてしまいますので、取扱い商品だったスカパーチューナーの梱包用のダンボールを敷いて寝ていましたね。僕はマネージャークラスになり、部下もできました。

 

 過酷な労働のかいあって、デジ社の業績は良かったのですが、社内は常にピリピリしていました。午前11時ぐらいに、前の晩の酒が残ったAさんが不機嫌そうに出社してきます。そして、太い眉毛を釣り上げながら、しかめ面でパソコンを睨む。

 

 しばらくすると、「すだァー!」と叫び声があがり、当時3人いた僕らマネージャー陣が呼びつけられるんです。おそるおそる、鬼上司Aさんの席に近づいていくと、直立不動でマシンガンのような叱咤を受ける。部下たちは、そんな僕らを見ないようにして、仕事を続けます。

 

 さらに張り詰めるのが、マネージャー以上が参加する、毎週の幹部会議です。鬼上司は、会議中も絶好調に怒りながら、両手で『バンバン』と音を立てて、机を叩きます。『何やってんだよ! これ、仕事かよ? 数字の意味わかってんのかよ?』という怒号と、机叩きの仕草が、ゴリラさながらでしたね。

 

 スカイ社時代からずっとこの光景を見ていましたので、『偉くなったら机は叩くもの』と思っていました(笑)。僕は、ほかのマネージャーたちと比べて、鬼上司との付き合いも長く、じつはあまり動じていませんでした。『怒られる技術』も磨かれていたわけです」

 

 スカイ社・スカパー社では、鬼上司の攻撃は須田氏が一身に受け止めていたが、ついにその呪縛から解放され始めた。

 

「鬼上司Aさんの部下を激しく詰める行為が社内で話題になり、いつしか『ゲキヅメ』という流行語が生まれました。僕は、徐々に自分の部下に実務を担当させていき、ゲキヅメの矛先を部下のほうに誘導しました(笑)。

 

 しかしそんな僕を、鬼上司は見逃しませんでした。『最近だいぶヒマになってないか? ちょっとお前も営業手伝え。違う営業チャネルを作ろうや』と……。それから僕は、経営企画の仕事と並行して、営業として新規の営業会社を探すハメになりました」

 

 デジ社で1年がすぎるころ、須田氏は一度、辞表を提出している。「職歴ロンダリング」の際に1カ月在籍した友人の会社で、こっそりと取締役を務めていた須田氏に、本格的に参加してほしいというオファーがあったためだ。

 

「デジ社の社長は、スカパー社時代の大ボスでした。辞表を出すと、すぐに社長室に呼ばれ、ドスの効いた声色で慰留を受けました。僕がビビりながら、『人が少なくてキツい、給料が安い、友人の会社を手伝いたい』と言い訳をすると、『預かる』とおっしゃられました。

 

 まもなく僕の部下が増員され、給料も翌月から大幅にアップしました。さらに、友人からは、Aさんが『引き抜くな』と怒鳴り込んできたことを聞きました。

 

 鬼上司Aさんは、仕事に関するすべてを『勝負』だと捉え、つねに『敵』をどうするかという思考の持ち主でした。『交渉して勝つ』『最後に勝つ』『徹底的に打ち負かす』がポリシーで、そのために『怒鳴り込む』『握る』『落とし所を作る』『トラップを埋め込む』という行動を多用していました。

 

 デジ社時代のあるとき、Aさんが主要取引先のスカパー社に怒鳴り込み、緊張状態になりました。すると彼は、『お前らが謝りに行って、酒で懐柔してこい。雨降って地固めれば、関係が強固になるだろ』と。作戦だったように思います。

 

 友人の会社が鬼上司の強襲を受けた後日、僕の元には、Aさんからこんな一方通行のメールが届きました。

 

『オレはお前のニーズに答えてやった。ゆえに、お前は辞めることは出来ない。お前はせめてデジ社が上場するまでは、決して卒業してはならない』

 

 そのとき保存フォルダに入れたこのメールに返信したのは、約2年後のことです。デジ社の上場を完遂し、後始末も終えたときに退職を依願すると、今度は『しょうがねーな』と認めてくれました。

 

 Aさんはその後、上場して社名の変わったデジ社や某メディアで社長を務められ、現在はコンサル系の企業の代表をされています。じつは卒業したあとも、懇意にしていただいていて」

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