社畜の合言葉は「ゾス!」食事は和製バーニャカウダ
箱崎のマーケティング会社が社員10人ほどしかいなかったころは、会社というよりも学生のサークルノリで、内輪ネタで笑いを生みながら、妙な連帯感で働いていた。
「深夜残業のときも、よく電話がなりました。相手は、ソフトバンクと同じく会社の主要株主であり、営業代理店でもあった『光通信』という会社の人たちでした。
光通信は、いまもある伝説の営業会社で、当時うちとの取引きは、弱冠25歳の『統括部長』という肩書の人が仕切っていました。目がギラギラしていて、歌舞伎町の客引きみたいな雰囲気でしたね。
昼夜問わず、毎日数え切れないほど電話をかけてくる強烈な光通信から、僕たちは文化的な影響を受けました。例えば『ゾス』という光通信ワードがあります。光通信と商談すると、よく聞こえてくるのですが、部下が上司に向かって使う言葉です。
『ゾス』は、おはようございます、ありがとうございます、承知しました、といった意味をすべて含んだ挨拶です。僕らの間でも『便利だ!』ということで、社内流行語大賞をとるぐらい多用されるようになりました。
一方で『ゾス』は、言い訳や質問を許さない、服従の意味合いを持っていて、上司から指示を受けたら『ゾス!』と言って、すぐに実行しなければならない、暗黙のルールがありました。
外資系コンサル出身の鬼上司からは、『シックスシグマ』『ペネトレーション』『チャーンレート』といった、よくわからないカタカタ用語ばかりを教え込まれてきましたが、『ゾス』は端的で、意味も明瞭でした。
さすがにソフトバンクグループを離れてからは使わなくなりましたが、じつはいまLINEのスタンプがあって、当時の光通信文化を知るひとたちには、ギャグで送っています(笑)」
世間では通用しない、局地的文化を吸収していった須田氏。さらにこの頃には、鬼上司のかわし方をも体得していた。
「文章企画系業務(契約書、ビジネス文書、ワード)をホリウチくんに、数値分析系業務(事業計画、分析、顧客データ管理、エクセル)をシンドウくんに引き継ぎました。
いま考えると残酷なのですが、2人の部下たちを鬼上司に『直接かわいがってくださいませ』と、生贄として献上したわけです。狙いどおり、僕の被害はいい具合に減っていました。
その頃の僕は、部下2人に向けられた鬼上司の怒号が聞こえると、視野に入らないように、首をかがめてパソコンのディスプレイにそっと隠れる動作を身につけていました。
このときのポイントは、作業中にパソコンのディスプレイを覗き込むようにして、音を立てず自然に動くことです。ピリピリムードの社内で無事でいるための、生存行動でした。
部下2人のガス抜きも欠かせません。いつもの蕎麦屋に入って『なにを怒られた? ドンマイドンマイ。今日は彼の機嫌が悪いみたいだ。午後は気を取り直していこう』と実のない慰めをするだけでしたが……。
この蕎麦屋には、卓上に食べ放題の『うずらの卵』が置いてありました。弱小生物が少しでも栄養補給するように、いつもうずらの卵を5個以上も割って、そばにかけて食べていました。
周りのふつうの人は、せいぜい2個ぐらいです(笑)」
箱崎勤めになってから、須田氏はひとり暮らしを始めた。うずらの卵の大量摂取以外にも、独自の食文化を築いていった。
「会社の近くで食事を頼れる店は、うずらの蕎麦屋、ラーメン屋、ハンバーグ屋、コンビニぐらいしかありませんでした。働きづめだったこともあり、夜に油分の多い食事をすると、ずっと咳が止まらなくなるんです。実家のバランスのとれた温かい食事を失い、金銭面・栄養面ともに、非常に危険な状態でした。
そこで僕は、独自の食事法を編み出します。まず、脂やカロリーが多い食事は、昼だけにしました。夜は、コンビニにある冷凍うどんを水で戻したものを、そのまま食べたり、豆腐をぐちゃぐちゃにしたものと混ぜてからちょっとの醤油をたらして食べたりしました。あ、トマトジュースがセットでしたね。
それから、ランチの帰りにパン屋に寄って、安いパンの耳を仕入れます。それだけで食べる日もありましたが、よくやっていたのは、うどんとも合わせた、ぐちゃぐちゃの豆腐にパンの耳をディップする食べ方です。安くてヘルシー、でもなぜか涙が出る(笑)。
のちに世間で大流行したあるメニューを見て『これだ!』と思いました。おわかりですよね? そう、バーニャカウダです。僕はかなり早い時期に、流行を取り入れていたわけです。まあ、ヘルシーすぎて、味は比べるに及びませんが」