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元ソフトバンク社畜の「ブラック生存術」流されて生きようぜ!

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2019.03.13 11:00 最終更新日:2019.03.13 11:00


ついに手を出した「ユンケル」それでも脳はパンクして…

 

 毎日深夜まで続く労働に、独自理論の栄養食。壮絶な環境に、過労で倒れることはなかったのだろうか。

 

「じつは、睡眠はそこそことれていたんです。月末月初の繁忙期は、通勤時間をカットして、会社で寝てますから。遅くも3時か4時に寝て、8時すぎに起きる生活です。酒も飲みませんから、スッキリしています。

 

 刑務所のような環境ですよ。自由はなく、ぜいたくはできないですが、規則正しくはあります。ただ、風呂には入れません(笑)。激しい時期は、土曜に来て、次の金曜まで会社に7連泊していました。

 

 でも、BBの立ち上げメンバーに登用されて、孫(正義)さん直属の経営企画担当をしていたときは、社内ダブルワーク状態で、人生で一番の峠を迎えました。

 

 当時は栄養ドリンクのユンケルを毎日2本飲んで、気を奮わせて、耐えていました。このときまでユンケルは、上司が買ってくれる『優しさ』の飲み物で、高価なこともあって、自分では手を出しませんでした。

 

 しかしこの時期は、自分で買ってまで、ユンケルに頼らざるをえなかった。これは僕にとって、とても大きなことでした。そして間もなく、体に異変が起き始めたのです」

 

 顔の歪み、目の下のクマ、まぶたの痙攣などは慢性症状としてグループ入社時からずっと出ていたという須田氏だが、孫氏とBBに関わっていた時期は、起きている時間だけでなく、夢の中でも追い込まれた。

 

「ある日、深夜に帰宅して、スキーの夢を見ました。僕はリフトにひとりで乗っていて、ゆったりと山を登っています。すると、後ろからうるさい客の声が聞こえました。注意しようと思って振り返ると、そこにいたのは孫さんと通信技術担当のおじさん社員でした。彼らは、僕に向かって怒鳴り散らしています。

 

 リフトは結構な高さまで登っていて、下に飛び降りることは出来ません。その2人は僕を追いかけているようでした。リフトを降りたら、捕まってしまう。じわじわと山頂が近づき、『もうダメだ!』というところで目が覚めました。

 

 時計を見ると、まだ深夜3時でした。まったく眠れていません。脂汗をかきながら、頭から煙が出ています。明らかに脳がオーバーワークで、常に微熱状態でした。

 

 洗面所で顔を洗おうと鏡を覗くと、目は血走り、頬はこけ、自分の顔ではないような気がしました。『こんな顔だったっけ? あれ、これも夢か?』と、現実と夢の区別がつかなくなっていました。

 

 また別の日、連日の深夜残業を経て、深夜3時頃にタクシーで帰宅しました。人気のない住宅街で、アパートの階段をのぼる自分の足跡だけが響きます。自分の部屋に入ると、突然空気の薄さを感じました。

 

 スピードを上げて呼吸してみますが、苦しい。空気を入れ替えようと窓を開けますが、新鮮な空気が入ってきません。部屋全体がゼリー状の物質に埋め尽くされたような感覚で、肺の中に酸素が入ってきません。

 

『ヤバい、息ができない、死ぬかもしれない……』。そう焦りだすと、ますます胸の鼓動が早くなります。経験したことのない冷や汗が出てきました。まだ20代なのに、こんなところで過労死するかもしれない、と。

 

『月460時間労働していた証拠のエクセル表を、実家に送信しておくべきだった。仕事なんて手を抜いて、もっとテキトーにやっていればよかった。誰かのために奴隷のように働くのではなく、自分のために適度に働くべきだった』

 

 日々の頭痛は、脳梗塞だったのかもしれないと思いました。そういえばあの頃、言葉がスムーズに出てこないようなこともありました。日々、脳がパンクしそうでした。

 

 はぁ、はぁ、と声を立てながら息をして、『安心しろ、生きてる。呼吸できてる」と、自分に言い聞かせました。生存を実感し、安心した瞬間、恐ろしいほどの睡魔が襲ってきて、そのまま布団に溶けるように眠りました」

 

 生死の境まで迫りながら、なんとかBB事業をスタートさせた須田氏は、マーケティング会社の専任に呼び戻された。そして、そこで上場に携わり、一連の手続きを終えると、ソフトバンクを去った。

 

「僕がブラック企業で生き残るのには、同じ境遇の仲間をもつこと、ときには逃げること、会社に泊まって睡眠時間をかせぐこと、ユンケル(笑)といった、ひとつひとつの要素も欠かせないのですが、一番大事だったのは『流れに逆らわないこと』でした。

 

 僕はこれを、日本古来の泳ぎ方になぞらえて、『のし泳法』と呼んでいます。それは、主体性をもたず、自分を捨て、クヨクヨしながら流される、消極的な生き方かもしれません。

 

 でもそこには、経験値というベースの筋力が必要なんです。


『ベストじゃないけどなんとかなるか』という気持ちの切り替えと、『仕方ないからなんとかするか』という行動の切り替え。これができる『筋肉』があれば、どんな環境でも生きていけるのです」

 


すだ きみゆき
1973年生まれ 茨城県牛久市出身 自称「エンジェル労働家」の経営アドバイザー。1998年にソフトバンクのグループ企業に入社し、経営企画担当「Yahoo! BB」事業の立ち上げ、衛星放送事業子会社の上場に携わる。2002年に退社し、アエリアのCFO(最高財務責任者)就任。社内ベンチャー企業を設立し、惣菜店の運営を経験したのち、2004年に同社の上場に携わり、CFOとしてゲーム、IT、金融企業のM&Aなどを手がけた

 

※須田氏の壮絶な社畜人生が描かれた、初の著書『恋愛依存症のボクが社畜になって見つけた人生の泳ぎ方』(ヨシモトブックス)が発売中

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