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川崎殺傷事件、殺された外務官僚の「ビルマの竪琴」
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2019.06.05 10:06 最終更新日:2019.06.05 10:06
「ミャンマー語の専門家と聞いて、もしかしたら外語大卒業生かと思ったけど、まさか同級生だとは……。落ち着いた感じの人でした」
東京外国語大学の卒業生は言葉少なにこう語った。
川崎20人殺傷事件で、凶刃に倒れた小山智史さん(39)。宮崎市の小中学校、県立高校を卒業後、東京外大を経て、2004年に外務省に入省。ミャンマーの大学や現地の日本大使館で計5年過ごし、帰国後は「通訳担当官」として勤務。ミャンマー語を駆使する、将来を嘱望された外交官だった。
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親交があった「日本ミャンマー・カルチャーセンター」のマヘーマー所長は、悲しむ様子を隠さない。
「ミャンマー語のカラオケがある、高田馬場のミャンマー料理店に、小山さんは奥様と娘さん2人を連れていらっしゃっていました。お姉ちゃんは小学校低学年で、妹さんは幼稚園ぐらい。ご夫婦もお子さんも、ミャンマー語でカラオケを歌うほど、ミャンマー大好き家族でした」
小山さんは「ビルメロ」だった。
「ビルマ(ミャンマーの旧名)のことが大好きでメロメロな人のことを、『ビルメロ』というのです。小山さんは、まさにビルメロ。気さくで優しくて、腰が低い方でした。
ミャンマーに関する学会の先生や外務省の方のなかには、高田馬場のミャンマーコミュニティや、ミャンマー祭りとかには来ない人もいます。でも小山さんは、コミュニティにどっぷり浸かっていました。
ミャンマー語は、読み書きも完璧で、歌もバラードからロックまで上手でした」(マヘーマー所長)
その語学力を買われて、小山さんは、重要な外交の場で、幾度も通訳を務めている。
「小山さんは、上皇ご夫妻の通訳を4回務めています。さらにミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問の来日時には通訳を務め、私的な買い物にも同行。上皇ご夫妻からも、スー・チー氏からも、小山さんの奥様に弔意が伝えられています」(社会部記者)
前出のマヘーマー所長は、こんなエピソードを話してくれた。
「小山さんの奥様がミャンマーに滞在されているときに、ビルマの竪琴をやっておられた。日本に帰国されてからも、『自宅で練習をしたい』と、うちに借りに来たのです。
日本には、竪琴を置いている場所が少ない。竪琴を返しに来たときは、小山さんが、わざわざ手土産まで持って来てくれました」
外務省の採用案内には、小山さんの横に座り、ミャンマーの民族衣装を着た妻の姿がある。夫妻でミャンマーとの懸け橋を務めていた。「ミャンマーと日本にとって、とても大切な方」(マヘーマー所長)は、理不尽に命を奪われた。
(週刊FLASH 2019年6月18日号)