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沖縄に衝撃…首里城炎上で右翼も市議も呆然

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2019.11.06 06:00 最終更新日:2019.11.06 06:00

沖縄に衝撃…首里城炎上で右翼も市議も呆然

写真・小早川渉/アフロ

 

「寝ていたら、知人から『NHKを見なさい』と電話が来たんです。言われるがまま、テレビをつけたら、首里城が紅蓮の炎に包まれ、正殿が焼き崩れていく様子が中継されている。恐怖のあまり、体が固まって動けませんでした」

 

 こう話すのは、首里城内で15年間にわたり土産物店を営む平仲直美さん。夜が明けて、自分の店の様子を確認しに行った平仲さんは、「灰をかぶりましたが、延焼は免れました。でも、今日はショックで何もできません……」と言う。

 

 

 10月31日の午前2時40分ごろに、那覇市にある首里城で「煙が上がっている」と通報があった。そこから火の手は大きく広がり、午後1時半の鎮火まで延焼が続いた。約4800平米が焼失し、正殿をはじめ、正殿の両脇にある北殿、南殿など、主要7棟が焼け落ちた。

 

 焼失した正殿は、沖縄の日本復帰20周年を記念し、1992年に復元。その後、正殿以外の施設も復元され、2019年2月に工事が完了したばかりだった。

 

 また首里城跡は、2000年に世界遺産に。ユネスコは「火災で世界遺産の価値は失われていない」と言及したが……。那覇市議会議員の新垣淑豊氏(44)が、その衝撃を語る。

 

「出張先で見て、唖然、呆然です。首里は私の生まれ育った地元。すぐに出張をキャンセルし、首里に戻りました」

 

“首里んちゅ” と呼ばれる周辺住民は、ここで、かけがえのない時間を過ごしてきた。

 

「城前は丘が芝生になっていて、昼は観光客がいるんですが、夜はそこが僕らのデートの場所でした。まさに “青春時代の象徴” ですよ。本当に悲しい」(首里出身の30代男性)

 

 火災から一夜明けたSNS上では、「首里城悲しい」「会社休みたい」といった投稿が相次ぎ、現場周辺の小学校ではショックで休む児童も出た。沖縄県民の心の穴は大きい。

 

「私たちの世代にとっては、小さいころに首里城の復元が始まり、それをずっと眺めてきた。やっと完成したのが高校生のころ。人生をともに歩んできて、『沖縄や沖縄の文化はすごいな』って思わせてくれた、自慢の城なんです」(那覇市出身の40代女性)

 

 火災後、沖縄最大の歓楽街・松山は人がまばら。道を行き来するのはキャッチばかり、という静かな夜を迎えた。

 

「首里城ありきで、飲食店や土産物屋をやってる城下町の人らは、悠長に待ってられんだろう。焼失の損害は、じわじわと県全体に広がってくるだろうね」(40代のサラリーマン)

 

 那覇市は、市役所本庁舎などに募金箱を設置。2016年、熊本城が地震で崩れた熊本市も募金を呼びかけるなど、団結の輪は広がりを見せている。

 

「仲間と復興に向けてのLINEグループを作ったところ、すぐに500人を超えました」(団体職員の40代男性)という声に続き、30代の右翼団体幹部も「首里城再建に向け、右翼、左翼関係なく『ウチナーンチュ(沖縄県民)』の心をひとつに動きたい」と語る。

 

 県花・デイゴのごとく、真っ赤な情熱が復興へ注がれ始めた。

 


(週刊FLASH 2019年11年19日号)

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