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水素水ブームから考える今風「健康願望」の奇態

社会・政治 投稿日:2016.06.27 12:00FLASH編集部

水素水ブームから考える今風「健康願望」の奇態

写真:AFLO

 

 大阪観光大学観光学研究所客員研究員の濱田浩一郎氏が、過熱する水素水ブームについて検証する。

 


 

 

 水素水ブームが盛り上がっている。

 

『週刊文春』6月9日号は、『水素水「効果ゼロ」報道に異議あり』として、糖尿病、認知症、動脈硬化、EDにも効く可能性を指摘した。もともとは、産経新聞が報じた「効果なし」記事に対する反論である。

 

 文春の記事では、パイオニアである日本医科大の太田成男教授がこう語っている。

 

「著しく濃度の低いインチキ商品は別ですが、市販の水素水には効果がないという批判も間違いです。現に、研究現場や医療現場では市販の水素水が使われています。大規模な臨床試験も進んでおり、ニセ科学と混同して論じられるのは心外です」

 

 一方、国立健康・栄養研究所は、6月10日、「水素水の有効データが見当たらない」とサイトで発表した。

 

《俗に、「活性酸素を除去する」「がんを予防する」「ダイエット効果がある」などと言われているが、ヒトでの有効性について信頼できる十分なデータが見当たらない》

 

 現段階で見つからないだけで、今後、有効性が見つかる可能性はある。素人の私に効能に関する判断は出来ないから、試したい人は試せばいいだろうと思う。私としては、こうした水素水ブームを別な観点から見てみたい。  

 

 唐突なようだが、私はこの騒動で、夏目漱石の『吾輩は猫である』を思い出した。

 

 今年は、夏目漱石(1867~1916)が亡くなって100年だ。そんな記念の年ということで、『坊っちゃん』のドラマ化や作家の対談など、さまざまなイベントが主催されている。朝日新聞に至っては、『吾輩は猫である』を再連載中だ。

 

 その『吾輩は猫である』に、こんなシーンがある。なんにでも効果があるという「薬湯」の入浴シーンだ。この薬湯、1週間に一度しか水を変えないため、石灰を溶かしたような色で、しかも脂ぎって重たそうに濁っている。以下、会話部分だけ引用する。

 

「一体この湯は何に利くんでしょう」

「いろいろなものに利きますよ。何でもいいてえんだからね。豪気(ごうぎ)だあね」

「薬を入れ立てより、三日目か四日目がちょうどいいようです。今日等(など)は這入(はい)り頃ですよ」

「飲んでも利きましょうか」

「冷えた後などは一杯飲んで寝ると、奇体(きたい)に小便に起きないから、まあやって御覧なさい」

 

 要は、垢だらけの謎の薬湯を、効果があると思って入浴し、また飲用しているのである。

 

 私は水素水の是非を語るつもりはないが、最近、SNSでしばしば見かける「水素水は素晴らしいから、あなたもぜひ」と他人に押しつける人には、若干の悪感情を持っている。その行動は、批判する側から見たらまるで「垢湯」を他人に勧めるようにしか見えないからだ。

 

 世はおしなべて健康ブームだ。だが、情報が氾濫するなかで、世の常識を超えた「健康法」が次々に登場してきた。かつては「飲尿健康法」「包丁ダイエット」「蜂の針ダイエット」などもあった。いずれも、他人から見たら「垢湯」以外の何物でもない。

 

 漱石は、弟子の中川芳太郎に「すべてのものに対する警戒心を捨て、1000万人の人間に批判されようと、自分の信念で突き進め」と語っている。だから、自分が信じた健康法にハマるのは構わない。

 

 しかし、それを自慢気に人に話すのはやめた方がいい。喜々として我流の健康法を語れば語るほど、友達に「垢湯」だと思われるリスクが高まるからだ。

 

 SNSが普及し、日々の生活を自慢気に語る文化ができてしまった。しかも、他人によく思われるよう「話を盛る」癖が多くの人についている。盛った話をさらに人に勧めたりすれば、気づけば友人がいなくなっていたなどという事態になりかねない。

 

 一般人が日常を盛って話すというSNS時代の悪弊を、私は漱石の「薬湯」から気づかされたのだ。

 


(著者略歴)

濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

 1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本史に学ぶリストラ回避術』『現代日本を操った黒幕たち』ほか多数

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