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日本の政治が動くとき…いつでも「高級ホテル」が舞台だった

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.03.06 06:00 最終更新日:2020.03.06 10:16

日本の政治が動くとき…いつでも「高級ホテル」が舞台だった

1987年、新高輪プリンスホテルで披露宴をおこなった安倍首相

 

 国会を騒がせた、安倍晋三首相の「桜を見る会」に関する疑惑。前日におこなわれた夕食会は、都内の高級ホテルで開かれた。

 

「会場となったホテルニューオータニは、野党の問い合わせに、『個別案件にはお答えできない』と回答を拒否。一方、それ以前に夕食会が開催されていたANAインターコンチネンタルホテルは、首相答弁をばっさり否定したのです」(社会部記者)

 

 

 背景には、ANAホテルは外資系であるため、官邸に忖度する必要がなかったという事情もあるようだが、自民党議員からは「今後、ANAホテルは使わない」と恨み節が聞かれた。

 

 ホテル評論家の瀧澤信秋氏は、ホテル側の対応について、こう語る。

 

「ニューオータニが批判されていますが、世間の反応は別にして、ホテルの対応としては優れていると思います。ホテルのよし悪しは、いかに個人のお客様に “忖度” できるかが重要ですから。あるホテルの宴会担当者も『長年のおつき合いや、リピーターを大事にする』と話していました。

 

 ニューオータニには宴会場が37もあり、高級ホテルでありながら、一般の方にもハードルが高くありません。立地も国会から近く、政治家にとっては『使いやすいホテル』といえると思います。

 

 逆に外資系ホテルはブランドカラーを大切にするので、ANAホテルの最初の対応は理解できます。一方で、その後、自民党に謝罪したという報道もありました。宴会場の収入を考え、背に腹は代えられなかったのでしょう。それほど宴会場収入は重要で、パーティをよく開催する政治家は、大事なお客様なのです」

 

 ホテルと政治家の密接な関係を、政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏が語る。

 

「議員会館周辺には多くのホテルがあり、とくに1990年代には、政局になると、それらのホテルに陣取った議員たちが動きました。そのため、“第二の国会対策室” や “第二の永田町” などといわれました」

 

 高級ホテルには、それぞれのカラーがあり、政治家たちも好みや状況に応じて使い分けていた。元TBS政治部記者の参院議員・杉尾秀哉氏は、こう語る。

 

「思い出されるのは、自民党最大派閥の竹下派分裂です。1992年10月に小渕恵三さん・橋本龍太郎さんらは赤坂プリンスホテル、小沢一郎さん・羽田孜さんらはキャピトル東急ホテルで、熾烈な多数派工作をしました。

 

 態度を表明していない議員が陣営に姿を見せると、記者から、どよめきが起きました」

 

 報道番組のキャスター時代には、小沢氏の側近から全日空ホテルに呼ばれた。

 

「いぶかしく思いながら行くと、小沢さんから、『次の選挙で新進党から出てくれないか』と言われ、驚きました」(杉尾氏)

 

 政界の重鎮・亀井静香元衆院議員のホテルの思い出は、ほろ苦い。

 

「悲しいことだが、1998年に(証券取引法違反に問われた元衆院議員の)新井将敬がホテルの部屋で自決したことを思い出す。前夜、泣きながら『私は無実です』と電話をかけてきたから、僕は励ましたんだ。その翌日、奥さんから『主人が死にました』と……」

 

 政治家たちの披露宴やパーティの会場としても、高級ホテルは重宝されてきた。なぜ、これほどまでに集うのか。

 

「ルームサービスで食事ができ、密室で会合を開けることがひとつ。そして、出入り口が多く、番記者に見つかりにくいからではないでしょうか(笑)」(前出・鈴木氏)

 

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