起業でみた「人生のドン底」月15万円の高級賃貸マンションからホームレスに
卒業を前にした大学4年の冬から勉強を始め、1999年秋、2回めの司法試験に合格した元榮氏。司法修習を経て、2001年秋に最大手法律事務所のひとつである「アンダーソン・毛利法律事務所(現在のアンダーソン・毛利・友常法律事務所)」に入所する。
「それまでずっとお金がなくて、フォルクスワーゲンの傷も直せないままでした。司法浪人をしていましたし、弁護士になるときの登録料20万円が出せなくて、当時つき合っていた彼女に借りたほど(笑)。もちろん、初任給で返しましたが。
就職活動にあたって事務所訪問をしていたとき、人生で初めて外食のしゃぶしゃぶに連れて行ってもらったのですが、恥ずかしながら、食べ慣れない霜ふり肉で、胃もたれを起こしたこともありました。
そんな僕の人生が、アンダーソン毛利で働き始めて一変します。念願だった初めてのひとり暮らしで、青山一丁目に1DK・30平米で家賃15万7000円のマンションを借りました。
入所して間もないのに、その年の12月には初ボーナスもいただけて、前から憧れていた『パネライ』という高級ブランドの腕時計を買いました。初めて生活が豊かになった、“つかの間の春” でした」
入所からわずか3年後の2004年11月、元榮氏は弁コムを立ち上げるために、高給取りの生活に別れを告げた。そして、仕事の引き継ぎ期間を終えて、年が明けた1月15日、起業を果たす。
「明らかに資金面の準備不足で(苦笑)。それまで『20代は絶対に貯金をしない、すべて自己投資に回す』という考えを言い訳に、収入を全部使っていたんです。
じつは起業自体は2003年秋から構想していましたので、そこから1年間で溜めて、自己資本は200万円ほど。さらに銀行から300万円を借りて、計500万円での開業でした。
ところが、サイトを作るためにエンジニアに100万円、保守運用に月10〜20万円と、どんどん資金がなくなっていきます。しかも生活費もあります。気づけば1年後には、500万円がなくなってしまいました」
家族と住んでいた目黒区の自宅で、弁コムとオーセンスの前身を立ち上げた元榮氏。だが、「起業チャレンジを120%やりきりたい」という思いから、2005年9月に初めてオフィスを借りるタイミングで、車に必要なものをつめ込み、自宅を飛び出した。
「とにかくお金がなくて、クレジットカードのキャッシングを利用し、限度額ギリギリのところで、やりくりしていました。家も借りられず、自宅を出て3カ月は友達の家に居候して。30歳の誕生日に、まさか家がないとは……まったく思い描いていなかった現実に、ショックでしたね。
会社のほうでも、収入がないのに、銀行には毎月5万円ずつ返さなければならず、融資担当者の上から目線対応にプライドはズタボロ。『貧すれば鈍する』というのを実感し、資金繰りに苦しむ中小企業の経営者の気持ちが、痛いほどよくわかりました。
1年前は、当時六本木一丁目の『泉ガーデンタワー』にあったアンダーソン毛利で4年めになり、個室を与えられていた。東京タワーが見える部屋で、ビジネス弁護士としてバリバリ働いていた自分が、事業を思いついて一念発起して辞めたら、仕事でも生活でもドン底状態。
『自分が登っている大きな山の隣に、登りたい別の大きな山を見つけてしまったら、1回降りるしかない。30歳でたまたま降りてしまっただけだから、仕方ないよ』
そのときは、そう自分を励ましていましたが、“すべてなくなった感” に、グッとこみ上げてくるものがありました。ちなみに家だけは、知人に借金をしてマンションを借りられましたので、年末年始の炊き出しには並ばずに済みました(笑)」