選ばれし者たちだけが集うプロの世界。そこで生き抜くには素質はもちろん、負けん気の強さも必須条件だ。その点、この男は小さいころから、その資質は抜群だった。25年ぶりの優勝へ首位を独走する広島の立役者・鈴木誠也(21)である。
彼が本格的に野球を始めたのは小3時。舞台は荒川区町屋。最初の練習相手が、父の宗人さんだったこともあり、その光景は、漫画『巨人の星』の星一徹&飛雄馬親子のようだった。
当時を知る、荒川リトルシニア野球協会事務局長・石墳成良さんが語る。
「ウチに入った当時から身体能力が高く、惚れ惚れする能力の持ち主でした。すでに宗人さんとの自主練もやっていて、私の会社の倉庫でも、ティー打撃を毎日のようにやりました。しかも、私も父親もかなりのスパルタ。鉄拳制裁も辞さなかったけど、そのたびに誠也も向かってくる子でした」
チームの練習後には、決まって石墳さんの会社でのティー打撃。さらには帰宅後、宗人さんが経営していた喫茶店横の倉庫でも、同様に打ち込んだ。それが「平成の星親子」と話題となり、小5のとき、テレビ東京の『出没!アド街ック天国』で紹介された。
石墳さんを驚かせたのは才能だけではない。
「やんちゃを通り越していて、世の中を知らないというか、こんなこともやってしまうのか? という子でした(笑)。詳細はとてもじゃないけど話せませんが、あるとき、誠也の悪ふざけが原因で、年下の子が被害に遭ってしまった。で、そばにいた母親が激怒し、旦那さんが抗議に来たんです。
ところが、応対した宗人さんがウチの野球チームのジャンパーを着ていた。旦那さんは大の野球好きで、抗議そっちのけで野球話に花が咲いた。結果、その子供もウチに入ることになり、誠也が子供一人をスカウトしたことになったんです(笑)。
学校の成績? それはひどかった。宗人さんの口癖が、『勉強するくらいなら走ってこい』ですから(笑)。中2では、体育と社会以外の7教科はオール1。中3では野球推薦を得るために頑張って、オール3ぐらいにはなったんじゃないでしょうか(笑)」
試合ではこんなエピソードも。中3時、これに勝てば全国という試合で、誠也は打ち込まれ、最後は二塁ベース上でゲームセット。その瞬間、ヘルメットを投げつけ、号泣しながら大暴れした。石墳さんはその態度が許せず、一発食らわせようと向かった。
「ところが、脇から宗人さんがいきなり出てきて、『野球を舐めるな!』と殴りつけた。誠也も『なんだ、クソ親父!』と言い返しましたよ(笑)。ただね、翌日におこなわれた敗者復活戦で、コールド勝ちで全国の切符を得た。あいつは、怒られたことをバネにするような子供だったんです」
誠也は、今でも帰省すると石墳さんの会社を訪れ、倉庫でティー打撃に汗を流す。そこは、やんちゃで負けず嫌いだった野球小僧の原点の場所なのだ。
(週刊FLASH 2016年7月19日号)