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女子柔道初の金メダリスト恵本裕子が語る「金メダル確信の瞬間」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2016.08.13 13:00 最終更新日:2016.08.19 17:33
1992年バルセロナ五輪で女子柔道は正式種目となり、アトランタ五輪当時は、漫画『YAWARA!』が大人気。48kg級の田村亮子(現姓・谷)が注目を集めるなか、柔道界で初の女子金メダリストとなったのが恵本裕子だった。
この快挙はどのように生まれたのか。
1995年に幕張でおこなわれた世界選手権女子61kg級1回戦。恵本裕子にとって初めての世界挑戦はわずか11秒で終わった。翌年、彼女は雪辱を期してアトランタ五輪に臨む。
「当時の61kg級は、5人ぐらい優勝候補がいて、誰が世界王者になってもおかしくない階級だった。組み合わせを見たとき、これは私が優勝できる組み合わせだと思いました。実績は相手が上でも、柔道の相性がいい選手が同じ山に集まっていましたから」
こう恵本裕子(43)本人が語る。
2回戦でバルセロナ五輪金メダリストを判定で退けて波に乗ると、3回戦では同銀メダリストを得意の内股で撃破。準決勝では、同時進行でおこなわれていた隣の試合場で、最大のライバルと睨んでいた韓国人選手が敗れたのを恵本は確認した。
準決勝を戦いながら、決勝で対戦する相手を気にする余裕があったとは驚きだ。
「それだけ金メダルが、金メダルだけが欲しかったんです。神経を張りつめていたからこそ、隣の畳を気にする余裕が生まれたのではないでしょうか」
決勝は、ベルギーのジェラ・バンデカバイエが相手だった。
「合宿などで何度も顔を合わせ、手の内を知り尽くしていました。柔道には相性があって、彼女とは分がよかったんです。決勝前には金メダルが見えてきましたね」
開始56秒、内股「一本」で投げ飛ばし、柔道母国に初の女子金メダリストが誕生した。
(週刊FLASH2016年8月2日号)