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待ってろ東京五輪/十種競技「右代啓祐」泣きながら街を疾走

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.08.11 20:00 最終更新日:2020.08.11 20:00

待ってろ東京五輪/十種競技「右代啓祐」泣きながら街を疾走

恩師の “金言” が書かれたしゃもじを持参。これを見ると、気合がみなぎってくるという

 

 東京五輪開催を信じて……日の丸戦士たちの、ブレないメダルへの思いとは--。アスリートたちが、「1年後への金言」を寄せてくれた。今回は、十種競技右代啓祐(33)だ。

 

「五輪では、鍛え抜かれた肉体に、ぜひ注目してください」
 そう語る右代。十種競技とは、100メートル走や走高跳、やり投など、合計10種類の陸上競技を2日間に分けておこなう陸上競技だ。体を酷使するハードな競技であり、優勝者は敬意をこめて「キング・オブ・アスリート」と呼ばれている。

 

 

 右代は、十種競技のなかでも、砲丸投、円盤投、やり投という投擲種目を得意としている。転機となった試合は、2009年におこなわれた日本選手権。

 

「初日にトップの数字を出せたせいか、慢心したのかもしれません。2日めで結果を出せずに、初優勝、そして初の日本代表を逃してしまいました。

 

 当時の国士舘大学陸上競技部の岡田雅次監督に、『今日の試合を見て、俺はお前が失敗したとは思わない。今日からが、お前のスタートだ!』と言われたんです。この言葉は、私にとっての “金言” です。

 

 あのときは、あまりの悔しさと、『これからやってやるぞ!』という気持ちが入り乱れて、いてもたってもいられず、広島の街中を泣きながらダッシュしました(笑)」

 

 その後、6年連続で日本選手権で1位に輝き、2011年には日本新記録をマークした。

 

「監督の言葉を、広島県宮島名産のしゃもじに書いてもらい、部屋に飾ってあります。いまでも練習前に見ると、燃えるようなやる気が出てきます」

 

 五輪の延期にも、動じない。

 

「気持ちを切り替え、『今できることを100%やる!』と決意しました。あらためて計画を練り、1年後を見据えて、新しい技術や苦手な種目に取り組んでいます。この競技で、日本人初のメダルを獲得するために前進しつづけます」

 

うしろけいすけ
1986年7月24日生まれ 北海道出身 196cm95kg 2011年に十種競技の日本記録をマーク。2012年のロンドン大会で、日本人としては1964年の東京五輪以来、48年ぶりに五輪に出場。2016年リオ五輪にも出場。国士舘クラブ所属

 

(増刊FLASH DIAMOND 2020年8月20日号)

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