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元「ドラ1」選手5人が明かす“裏特約”…1軍確約に実家のリフォームも
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.19 06:00 最終更新日:2020.11.19 10:05
2020年のドラフト会議では、支配下選手74人・育成選手49人、合わせて123人の新人選手が指名された。そのなかで、栄光の “ドラ1” は12人。
2020年の目玉として注目された、近畿大学の佐藤輝明(21)は、4球団から1位指名を受け、阪神タイガースが交渉権を獲得。一方、早稲田大学の早川隆久(22)も4球団が競合したすえ、東北楽天ゴールデンイーグルスが交渉権を獲得した。
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現在、ドラ1(大卒以上)は、契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円程度が “相場” となっているが、かつては青天井の時代もあった。10億円超の大金が飛び交ったこともあったという。そこで今回、かつてのドラ1選手たちに、入団交渉の舞台裏を聞いた。
まずは「コンプライアンス」という言葉すらなかった昭和時代。1980年、当時のドラ1高校生では最高額となる、契約金4800万円、年俸450万円でロッテオリオンズ(当時)に入団したのが、愛甲猛氏(58)だ。同期のドラ1には、巨人の原辰徳監督もいた。
「大学出身だった原さんの契約金は8000万円。本人は、『手取りね』って言ってたけど(笑)。マジかよって思ったよ。計算したら額面で2億円ぐらいある。そりゃ、ビルも建つよ」
当時から、ドラ1での入団には “裏特約” があったという。
「僕の場合、『3年間は、どんな成績でも年俸が下がらない』という契約だったんですよ。あとは、『自分からロッテを出て行かない限りは、終身雇用』という約束でした。
その後、ロッテに15年間在籍して、引退を打診されたとき、球団は約束を守ってくれて、千葉県内の巡回コーチ就任を打診されました。でも、現役をやめたくなかったので、中日に無償トレードしてもらって、ロッテとの縁は切れました」(愛甲氏)
やはり、ドラ1は特別なのだ。1987年に、巨人にドラ1で入団した橋本清氏(51)にも話を聞いた。
「僕は契約金6000万円、年俸は480万円と、高卒ドラ1としては最高の評価をしてもらいました。ただ入団交渉の席で、『契約金を下げてもかまわないので、年俸を少し上げてもらえませんか?』とお願いしたことを覚えています。
昔から知っていた伊良部秀輝(当時ロッテ)の年俸が、僕よりも少し高かったので、対抗心でした。球団からは却下されましたけどね(笑)」
橋本氏は、巨人で12年間プレーしたが、現役時代に “ドラ1の特権” を、さまざまな場面で感じたという。
「ドラフト8位の選手と比べたら、チャンスを与えてもらえる回数は、オーバーじゃなく100倍くらいはあったと思います。僕は、一軍で結果を出すのに6年かかりましたが、辛抱強く使ってくれました。
結果を出したあとも、トミー・ジョン手術を含め、肘に2度メスを入れたのですが、その手術代は球団持ちで、完治するまでクビにせずに待ってくれました。それこそが、巨人ドラ1の特権で、入団したときから退団するまで本当に大事にしてもらいました」
2人の話を聞くと、かつて愛甲氏や橋本氏と同じく、甲子園を沸かせた日本ハムの斎藤佑樹(32)が、2020年シーズンで入団以来初となる一軍登板ゼロながらクビにならないのも、入団時に “裏特約” があったのではと勘繰ってしまうが……。