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野村監督、少年時代の夢は「俳優」仲代達矢氏が褒め称えるも…
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2020.11.22 06:00 最終更新日:2020.11.22 06:00
2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。15年間近くマネージャーを務め、野村さんを人生の師とあがめる小島一貴さんが、野村さんの知られざる素顔を明かす。
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母子家庭で育った監督は、少年時代は相当な貧乏だったという。そのため夢は、「お金持ちになること」だった。初めは2歳下の美空ひばりさんを見て歌手を目指し、音楽部に入部したのだが、高音が出ないため断念。次に目指したのは、映画俳優である。監督はよく、こんなふうに語っていた。
「子供のころの娯楽といえば、映画しかなかった。みんな座布団を持って映画館に行くんだよ。でも俺は金がないから、簡単に見られない。
ラッキーだったのは、2軒先の家に映画館の支配人が住んでいて、よくしてもらっていたこと。映画の始まる時間が過ぎて、入り口あたりでウロウロしていると、そのおじさんが『カッちゃん、入っていいよ』と手招きしてくれる。
この手を使って映画を観て、セリフや動きを覚えて、家に帰って鏡の前で毎日、一生懸命練習していた。でもある日、鏡に映る自分の顔を見てハタと気づいた。『この顔じゃアカンわ』って(笑)」
このエピソードは著書でもしばしば書かれている “鉄板ネタ” である。しかし、この映画俳優エピソードには、続きがある。それが、偉大な俳優である仲代達矢氏との逸話だ。講演のみで披露され、著書には書かれていないため、知っている人は少ないように思う。
かつて仲代氏と対談する機会があり、監督は「こんな顔ですが、少年時代に恥ずかしながら、役者を目指したことがある」と口にした。それを聞いた仲代氏は、あの大きな目を見開いて、「残念ですねえ!」と力強く唸ったという。
監督がびっくりして呆気に取られていると、仲代氏は、こう続けた。
「野村さんなら、きっと素晴らしい俳優になったはずです。演劇界の損失ですよ。味ある名俳優、名脇役になったはずです」
この話を講演で披露するとき、監督が仲代氏の「残念ですねえ!」を、力強く真似する。監督の語り口調は淡々とした低音が続くので、力強い唸り声が入ることがアクセントになっていた。監督も、それを計算して話していたように思う。
この2人、じつは2014年に再び対談している。仲代氏が、ある雑誌の編集委員をしており、実現した企画だ。残念ながらその雑誌は廃刊になっているので、対談記事を読むことは難しいかもしれない。ただし、以下に記す内容は、記事にも含まれていない。
対談は、仲代氏が主宰される「無名塾」の稽古場でおこなわれた。閑静な住宅街にあり、中に入るとシックで落ち着いた色彩で統一されていて、重厚な雰囲気に圧倒された。
塾生と思しき若者たちが見学するなか、基本的には仲代氏が聞き手となり、監督が少年時代や若手選手だったころのエピソードを披露する。わりと早い時間に少年時代の話が出て、役者を目指していた話も出たのだが、2人とも「残念ですねぇ!」にはふれなかった。
しかし、対談もそろそろ終わりになるかと思われたころ、監督がそのエピソードにふれた。
「仲代さんが『残念ですねえ!』っておっしゃってくださったんですよ」
監督は嬉しそうにモノマネを交えて話すのだが、仲代氏は呆気に取られているようだった。監督にとっては大事な思い出だが、仲代氏にとっては、そうではなかったのかもしれない。話しているうちに監督も悟ったのか、話は尻すぼみに終わってしまった。
2014年当時の監督は79歳、仲代氏は82歳。2人とも、思い出に隔たりを作るには十分なほど、長い人生を歩んでこられていた。本物の「残念ですねえ!」は、監督の思い出の中にのみ、たしかに息づいている。