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野村監督、“偶然のひと言”が生んだ劇的ドラマ「江夏の21球」【短期集中連載Vol.5】
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2021.02.05 11:00 最終更新日:2021.02.05 11:00
2020年2月11日に惜しまれつつ亡くなった、野村克也さん(享年84)。1周忌にあたり、15年間近くマネージャーを務めた小島一貴さんが、短期集中連載で「ノムさん」の知られざるエピソードを明かす。今回は、第5回だ。
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「江夏の21球」といえば、昭和の野球ファンで知らない人はいないだろう。1979年の近鉄バファローズ対広島東洋カープの日本シリーズ第7戦、3-4の広島1点リードで迎えた9回裏、近鉄の攻撃に対して江夏豊投手が投じた21球のドラマである。無死満塁のピンチから、江夏氏はスクイズを外して無失点で切り抜け、広島は球団史上初の日本一になった。
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この年、私は小学2年生で、当時の記憶はまったくない。ただ、父がこのころの近鉄の強さに魅了され、ファンでもない近鉄の帽子を被らされていたのを覚えている。そして大学生のころ、スポーツライターの山際淳司氏のノンフィクションを読み、感銘を受けた。
しかし、野村監督のマネージャーになって監督からいろいろな話を聞くまでは、「江夏の21球」の背景を、まったくといっていいほど知らなかった。
野村監督のファンであれば、江夏氏のリリーフ転向の経緯については、よくご存じだろう。阪神から南海にトレードとなった江夏氏は、もはやかつての球威もなく、先発しても打順が一巡すると打ち込まれることが多かった。一流投手は先発完投が当然という時代だったが、「MLBの例にならい投手の分業制が進む」と考えていた監督は、江夏氏にリリーフ転向をすすめる。
しかし江夏氏は、「トレードになったうえにリリーフなんて、さらに恥をかかせる気か!」と猛反発。監督による必死の説得が続くなか、「球界に革命を起こそう」という監督の言葉に、「革命か……」と心を打たれた江夏氏は、ついに転向を決意したという。
当時はクローザーではなく「ストッパー」といわれていた、抑え投手の先駆者として大活躍した。そして広島時代には、球界を代表するリリーフエースへとなったのである。
当時の広島の監督は古葉竹識氏(84)。じつは古葉氏も、野村監督と深い繋がりがある。広島で内野手として活躍していた古葉氏は、出場機会が減りつつあり、野村監督の希望で南海へのトレードが成立。1970年から2年間、監督の下でプレーした。
ある試合中、守りを終えて兼任捕手である監督がベンチに戻ってくると、古葉氏が「うまいこと投げさすもんやのう」と思わず感想を漏らしたのが聞こえてきたそうだ。「あんなふうに言われると、やっぱり嬉しいもんだよ」と、監督は振り返っていた。
古葉氏は南海で現役を引退し、1975年から広島の監督になるのだが、「トレードで南海の投手を獲得するときは、マイナス5勝して考えないといかん」と語っていたという。すなわち、『南海の投手は、野村監督の起用法やリードで投げているから実力以上に活躍できる』という意味だ。
このように、古葉氏は監督の手腕を高く評価していたのである。だからこそ引退後の2年間、監督の下で南海のコーチを務めたのだろう。
1977年、シーズン終了を前に野村監督が南海の監督を解任されると、江夏氏を始めとする数名の選手が異を唱えた。結果、江夏氏は古葉氏が監督を務める広島に金銭トレードで移籍する。野村監督の薫陶を受けた二人が、監督とクローザー(ストッパー)として、再び同じ球団に所属したのである。
現在のプロ野球界においては、野村監督の教え子の多くが監督やコーチを務めているが、古葉氏はその走りといってもよいだろう。古葉監督の下でチーム力が向上しつつあった広島は、江夏氏という強力なストッパーを得て1979年、初の日本一に輝いたのである。
監督は晩年、「江夏の21球」を振り返って、「ノーアウト満塁になって、ベンチの西本さん(幸雄氏。当時の近鉄監督)が一瞬、ニコっと笑ったのが放送席から見えたんだ。あ、これは危ないな、と思った」と語っていた。一方、「江夏の投げる1球1球に意味がある。打者心理を読む投球術の教科書のようなもの」と評していた。
「江夏の21球」から3年後、NHKがこれを題材に特番を組んだ。特番のナビゲーターに指名されたのは、引退して解説者になっていた野村監督である。これ以上ない人選であった。
さて、楽天の監督時代、7回くらいから試合後のコメントを考えていたという監督のことだから、江夏氏を説得した「革命」という言葉も計算づくでの発言かと思いきや、どうもそうではないらしい。監督は、こう振り返っていた。
「俺も若かったから、毎日のように逃げる江夏を説得していたんだけど、そのときにポッと口をついて出たんだよな。『革命』っていう言葉が。それに江夏が反応したんだよ」
監督が偶然発した「革命」という言葉。これがなかったら、江夏氏のリリーフ転向やその後の活躍、そして「江夏の21球」もなかったかもしれない。